電動夏子安置システム【Performen Ⅵ】 | たかびの自己満観劇ブログ
昨夜は仕事の後、お芝居を鑑賞してきました。
 
電動夏子安置システム、通称:電夏さんの公演『Performen』の最新作にして最終章。
たかびの自己満観劇記
この長くてインパクトがある名前の劇団の公演の作品、観るのは今回三度目。
 
神聖喜劇、と銘打たれたこの作品は、誰かに操られ影響されて生きている人の様を面白可笑しく表現する事で、人の個性とは何か、人の意思とは何か、毎日同じ事を当たり前の様に繰り返していくだけの生活をしている人間に本当に意思や個性は存在するのか、そもそも人間とは何なのかを問いかけていく作品です。
 
IV~VI3作併せて『Performen新シリーズ』という括りになってるらしい(まるでドラクエの天空シリーズみたい…笑)けど、物語はそれぞれが独立しており、Inferno(地獄)~Purgatorio(煉獄)~Paradiso(楽園)と、それぞれの世界を冒険していく《本編》と、その合間合間に共通したテーマである《意思と影響》をコント仕立てで面白可笑しく描いた一場面を挟んでいく…という構成の作品です。
 
【イントロダクション】
 
《背景》
 
彼は胸に痛みを伴った熱さを感じた。見ると「P」の刻印が再び浮かびあがっている。
 
自分は人間だと勘違いした人形なのか、それとも人形だと思いこんだ人間なのか。
自由な意志を認めては忘れ、再びまた思い出す。常にその繰り返しだった。
全ては「その存在」を感じているから。はたまた感じていると錯覚しているから。
彼は思う。結局、神はいるのか、いないのか。神と人、要らないのはどちらか。
楽園の一番の高みへ行き、実際にこの目で確かめてやろう。
これがきっと、最後の旅になるだろうから。
 
電動夏子の神聖喜劇、『人間再生』をテーマに据えてのPerformen新シリーズ、
2009年~Inferno~、2010年~Prugatorio~、そして最終篇~Paradiso~
 
≪Performenの概要≫
 
「Performen」とは一種の英語はであるが、
「perform(規則的・持続的行動を成す)」+「men(者ども)」に由来する造語である。
 

なお、これは複数形であり、単数形では「Performan(パフォーマン)」となる。
パフォーマンとは、特定のシステムに縛られ延々と同じ動きを繰り返す「律動人型」の事である。
人は毎日、同じ事を繰り返し、生きている。
それが当然であると思われるかもしれないが、まさにそれこそがシステムであり、自覚とは無関係に自我を支配するまさに絶対的宇宙真理にして普遍の法則、『理(レゴラ)』と呼ばれる。
 
つまり『理』とは、時に「神」とか「運命」と呼ばれる創造主によって造られた律動人型が、その思惑通りに動かされ、考えさせられ、生活をおくらされる為のシステムとも言える。
創造主は「単調さ」を最もの善と価値づけるがゆえに、「単調さ」を否定する者を憎む。
 

「Performen」では、「運命・奇跡・偶然」それら類の事を、言い換えて、森羅万象を支配するのは『理(レゴラ)』と呼ばれるプログラミングと、それを施行するシステムの事であると定義した。
これは、この世に偶然や運命的という事象は何一つ無く、すべてはプログラミングされた当然かつ必然的事象しか存在しないという事を意味する。
「人は誰かに動かされていても、自分で動いていると感じる事が多い。」
大いなる錯覚である。
それが人である事の悲しき宿命ともいえる。
 
 
 
んだば雑感をば。
 

◇物語は独立しており、それぞれ単体でお楽しみいただけます…という謳い文句が以前から付いてるけど、今回の作品を観ていて(果たして本当にそうなのか?)という疑問がまず浮かんできた。
 
◇これは、IVから観ている自分と、今回VIで初めてPerformenを観た相方に、作品に対する理解度の差があった気がしたからです。
 
◇確かに物語自体は前作との繋がりはあまり無いけど…。
 
◇でもそれは(自分含め)飽くまでPerformenの《作品の仕組み》を知ってる事を前提にしての話、な気がしたのです。
 
◇作品の仕組みを知らない人にとっては世界観を理解するまでに、場面の転換とその前後関係を理解するまでに、それ相応の時間を要すると思うし、作品のボリュームがあるので中には仕組みを理解する前に物語を畳み掛けられて疲れちゃう人もいるだろうな…と改めて感じた。
 
◇主要登場人物のキャスティング、Performanという存在の説明に使われる一連の台詞、コントのテーマと構成の一部など、前作からそのままスライドさせて使われている部分を見て、前作を知ってれば“にやり”な部分も多いけど、その段階で前作を知ってる知らないの違いで物語の世界へののめり込み度にだいぶ差が出てるんだろうなー、と感じたり。
 
◇特に今回は最終章という事もあってか、キャストの人数がとにかく多かった、そして上演時間がとにかく長かった。
 
◇上演時間が2時間を越える作品にはせめて10分~程度の休憩があれば助かります…休憩無しノンストップで2時間15分では、集中力が持たなかったお客さんもそれなりにいた筈…。
 

…とまぁ、これが作品の“外周”を観た感想。
 
内容的には…コントの出来はやっぱりいいですね。
ネタバレ注意。
 
一部をご紹介。
 
◇自分の体のパーツと他人の神経がシンクロしてたら…過去作品にも出てきたレギュラーコント。
 
どこか別の場所にいる全く面識のない赤の他人が取った行動が、自分の意思とは無関係に自分の体に作用してしまったら…コントなので当然笑いを誘うハチャメチャな展開になるワケですが、他人に操作される自分の体、を現した一幕。
『このシーンは動きが完全にシンクロして初めて笑いが生まれるんだよ!』と熱弁、指導する演出家さんの声が聞こえてきそうな一幕です(笑)
 
◇音が聞こえない世界の出来事、自分で状況を想像して勝手に台詞を当て込んだら…これも過去作品に出てきたレギュラーコント。
 
覗きをやってる(犯罪だろ…)複数の人が、覗きで見えた人達の行動に勝手に音声を当て込んで事実とは全く物語を作り出してしまうという展開。自分達の意思とは関係なしに他人の妄想の中で勝手な事をさせられてる体、を現した一幕。
 
◇他人が吐き捨てた言葉を、死神に宛がわれ『この言葉を言わなければお前は死ぬ』と発言を強要されたら…これは初めて観たな。
 
他人が会話の中で何気なく言った一言を拾ってきた死神が、お前の持分だとその言葉の発言を強要…その言葉を言わなきゃ死んじゃう…例えその場に似つかわしくない言葉でも、例えその一言でその後の展開が悪化しても…!他人に強要されるという形で操作された体を表現した一幕。
 
他にも様々な形式の“影響”を表したコントが続出。
 
一言に『他人の影響を受ける』と言っても色々な方法があって色々な形で影響を及ぼすんだなーと。
 
◇本編は相変わらず『名前不明』な少年が空想世界を“自分は何なのか”を探して旅する物語。
 
◇シリーズ通して名前を聞かれるシーンがあるも全て名乗れずに終わるとゆー…実際にあの役に名前は設定されていたんだろうか。
 
◇ただ、今までのシリーズは少年が『僕はPerformanなんだ!』と言って幕だったのに、今回は『僕はただの人間なんだ!』と言って幕になった辺り、最終章たるものなのかなー少年の中で自分の存在という物をしっかり噛み砕けたのかなーという気がしました。
 
◇難しい題材を、難しい作品ながらに、なんとかわかりやすく表現しようとする姿勢が伝わってきたけど、やっぱり難しいや(笑)
 
◇結論、自分は何者なのか…そんな事考え出したらキリがありません、以上!
 

そんなワケでPerformen最終章、楽しませて頂きました。
 
今回は時間が目一杯だった都合で出演されていたお知り合いの女優さんにご挨拶出来ませんでしたが、また次回の出演作品、お声を掛けて頂ければな、と思います。