記念すべき第一回は、
川原浩史(なんでんかんでん社長・マネーの虎)講演と
『ビールの虎』のコラボ!!
会 場:とり鉄 新橋レンガ通り店
会 費:男性5,000円 女性4,500円
講演者・川原浩史さん(なんでんかんでん社長・マネーの虎)の強烈な東日本大震災体験談も…!!

『2011年3月29日 14時45分 マネーの虎でおなじみのラーメン店「なんでんかんでん」川原ひろし社長が、東日本大震災で被災し、着の身着のまま帰ってきたところを直撃。「まだ、福島第一原発のこともあり、ボクなどが大震災を語るべきなのか」とちゅうちょする社長だったが、体験した事実のみを淡々と語ってくれた。(……は中略)
川原社長「まず、多くの犠牲者の方々、心よりご冥福をお祈り申し上げます。また、被災して避難生活を余儀なくされている方々にも心からお見舞い申し上げます。一日も早く元の生活に戻れますように」
11日~14日まで開催のフードショー(グルメコロシアム)のために10日から仙台入りして「夢メッセみやぎ」にいました。仙台港から4~500メートルくらいのところです。最初はユラ~っと来て…5分以上揺れてましたね。建物の中の人はほぼ全員外に飛び出したんです。そしたら駐車場にビリビリってヒビは入るわ、隣の変電所の高圧電線がしなりだして接触し火花が散ったりして。コンクリートは浮き上がるし、大変なことになったな……しばらくしてイベントホールに戻ったら…100店もの出店はもうメチャクチャで……片そうかとしていたら、イベントの係員数人が血相変えて飛んできたんですよ。「なにやってんですかっ! 早く隣のビルに避難してください!」と。
……いま考えると、本当にイベント係員には感謝してもしきれないぐらい…。命の恩人ですね。係員は来ていたお客さんには「津波の危険があります。いますぐ高台に避難してください」と声を掛けて回っていました…
…(現地のアルバイトなどを含めて)約700人のスタッフがいたんですが、
イベントスペースのすぐ隣にある「仙台港国際ビジネスサポートセンター」の4階と5階に急いで避難してくださいと言われたんです。もう、取るものも取りあえずという感じで……
すぐには津波は来なかったんだよ仙台港は! だから逃げる時間もあったのは確かだし、人によっては「来ないじゃないか」と判断して、自宅の様子を確かめるために戻って犠牲になったケースもあるのではないかな。ボクらの避難が完了してから実際に大津波が来たのは、1時間以上経ってからだったから……
実はボクもその時は、こんな未曾有の津波が来るとは思ってなかったさ。みんな無事でケガなどしていないし、片付けにも戻りたかった、正直に言うとね。しかし係員が「大津波警報が解除されるまで絶対にここから出しません」と言う。30分が経ち、1時間が経ち、もう来ないんじゃないかと思い始めた頃だよ…。外を見ていた女の子が「キャーッ!」って言い出したんです。人をかき分けて窓に近づいたら…。
…地獄ですよ。波が…一挙に押し寄せてくる。車も何もかも簡単に飲み込んで…。走って逃げてる人がいるのよ、遠くに。すぐ飲み込まれていった。車も猛スピードで逃げてたけど最後は…。その時間、雪が強くなっていて吹雪ですよ。上は見通しが利かないぐらいの白い景色、下は濁流、波がビルにあたってシブキを上げる。流されていく人が何人もいるんだけど、助けようにも、もう何もできない…。
……これはとんでもないことになったなあ、と。津波が引くとね、流されひっくり返った車が次々発火するんですよ。もうあちこちで火事みたいになって。でも、どうすることも出来なかった。まんじりともせずに朝を迎えたんですよ。明るくなって外に出てみると、潮の臭いにむせかえりそうになったボクらが見た景色は目を覆わんばかりの惨状だった。
……この瞬間に理解しましたよ。「あ、ボクらは被災者なんだな」って。電気、ガス、水道全部止まってる。余震も怖い。しかし、ボクらはここを、この時間をなんとか生き延びなくちゃならない。言葉は適当ではないかもしれないけど「戦時下」の状態ですよ。
遠くでは火力発電所の燃料タンクが爆発して黒煙上げているし、周りは瓦礫の山だし…。少し瓦礫を動かすと逃げ遅れた方々の遺体が何体も目に入る。でもどうすることもできないんだよね。』
(リアルライブより)
当日は、川原浩史さんが中心メンバーで開催されている「ビールの虎」とのコラボレーション企画として、キックオフの会を大いに盛り上げたいと存じます!
今回は会場を「とり鉄 新橋レンガ通り店」をお借りして、講演会の後は、そのまま懇親会『ビールの虎』になだれ込みます! 皆さま、万障お繰り合わせの上、是非ともご出席ください!
9月19日(土)は5連休の初日ですが、何とぞ!
とり鉄 新橋レンガ通り店
東京都港区新橋3-8-8 神野ビル1F 050-5265-8094
タイムスケジュール(予定)
1500 開会
1505~1605 講演
1605~1615 質疑応答
1615~1625 会場の声
1625 締めの挨拶
1630 ビールの虎(懇親会)開始
1800 終了
となっておりますが、いま「ビールの虎」を早く開始して欲しいとの要望も多数寄せられており、質疑応答等をぎゅううっと詰めることもあり得ます!(^O^)/
※下の画像は6/25中村崇主催交流会!(当日は川原浩史、寺下史邦が熱唱しました!)
【川原浩史さんプロフィール】
福岡市博多区出身。幼少よりピアノ、バイオリン、声楽を学ぶ。オペラ歌手を目指し上京。音大を目指すが断念。音楽家鈴木童夢氏に師事、シャンソン、カンツォーネ、タンゴ歌手に転身。縁あって漫才コンビWケンジの前座歌手になると同時に弟子になる。演歌歌手への転身を勧められるも断り、司会、漫談家に転身。しかしなかなか芽が出ず、一旦、芸能界を退くことを決意。
東京でどうしてもなじめなかった醤油ラーメン。そこで、どうせやるならと「東京には本物の豚骨ラーメンがない!やっぱ博多もんの俺がやらんといかん!」と一念発起! 昭和61年、「なんでんかんでん」を世田谷環七沿いにオープン。開店当時の新聞の取材に「この店が成功したら、日本のラーメンは豚骨が主流になる」と高らかにぶち上げた。
その後の血のにじむ努力と、超固麺を表す「こな落とし」、海苔に印刷する「プリントのり」等の斬新なアイデアの相乗効果で、なんでんかんでんを超人気店に育て上げ、豚骨ラーメンが全国に広めるきっかけを間違いなく作った!!
この成功をきっかけに芸能界に復帰し、4年に渡り出演した「マネーの虎」は空前のヒット番組に。現在も「水曜日のダウンタウン」、「有吉弘行の歌う苦労人」など人気バラエティに多数出演。
※19日は、芸能人の裃(かみしも)をいったん脱いでいただいて、実は苦労人である川原浩史さんの素顔を是非とも感じていただきたい、我が国・日本を良い国にしたいんだ!元氣にしたいんだ!!という熱い思いを是非とも聞いていただきたいと思います!(^O^)/