小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんがご逝去されました。
若い方に是非とも覚えていただきたい方です。大東亜戦争中にフィリピン・ルバング島に派兵され、終戦後も約29年間、ジャングルで潜伏生活を続けた元陸軍少尉です。私の父と同じ大正11年生まれの91歳でした。
小野田さんは陸軍中野学校二俣分校出身で1944年12月に情報員として、ルバング島に派遣され、終戦後もジャングルに身を隠し続けました。一部報道で「終戦を知らず」というようなものがありましたが、小野田さんは残置諜者(敵の占領地内に残留して 味方の反撃に備え各種の情報を収集しておく情報員)としての任務を継続していたのです。トランジスタラジオなどを調達し、美空ひばりの歌や紅白歌合戦の結果もご存じだったことは有名な話です。
フィリピン現地警察との銃撃戦で生存していたことが判明し、昭和49(1974)年3月、元上官の任務解除命令を受けて帰国をされたわけです。
72年に帰国した横井庄一さんに次ぐ、旧日本兵の帰還となったわけです。(横井さんは終戦から27年間にわたってグアム島に隠れ続けた方。小野田さんは任務でした)
当時、私は中学2年生から3年生になる時でした。父と同じ戦争を戦っていた方が、まだジャングルに潜み、戦争を続けていたことに大変なショックを受けたことを昨日のことのように覚えています。
時を経て昭和63年。末次一郎先生の元で運転手から修行を始めて、2日目か3日目か、初めて乗せたVIPが小野田寛郎さんでした。当時まだ小野田さんも65歳。まだまだものすごいエネルギーを発散されていらっしゃいました。
昨年も末次一郎先生の13回忌でお会いしてお元気だったのに……残念です。