この本の元ネタは島田秀平さんの「お怪談巡り」のお話がもとになっています。
この本を読んで思ったことはいくつかありますが、
ひとつは
もしかしたら幽霊(魂)にも二種類あって、神道系と仏教系の幽霊がいるのかもしれない、と思いました。
例えば
『いわゆる無縁仏を見たときかわそうなどと同情すべきでない…少しでも自分の憐憫をみせたら、次なる肉体を求める者たちが押し寄せて来るかもしれません』(82頁)
『生前いわゆる霊媒師だったおばさんが死ぬとおばさんではなく、「成仏させる」と約束した魂を連れて行ってしまった』(104頁)
などは幽霊は幽霊でも「神道系」なのではないかと思います。
「取り憑く」と言うのは「たたり」から派生していると考えられ、無縁仏を供養するのは仏教では良いことと考えられていますからあり得ないことと思います。
ただし、仏教には「さわり」と言うのがあり、霊と人間が一緒にいると、霊に悪意がなくても人間の体に害がおよぶことがあるそうです(三木住職談)
自分は高校生のころ、何回か道端ではねられた動物を、車が通らなくなった夜中に行って土に埋めたことがあります。
ある時などは自転車で夜遅く走ってていると、「ヒクッヒクッ」とどこからともなく音が聞こえてきます。
元々怖がりなのですが、その時は全くそうは思いませんでした。
あたりは暗くその音がする方を耳で探ると、どうやら道の真ん中の方からのようです。
少しづつ道の中央へ近づいていくと、今まさにはねられた小さな猫がかすかに息をしている音だったのです。
その時はとにかくなんとかしてあげなければと思って抱き上げて、近くの獣医さんを探しました。
やっと見つけた獣医さんも時間は既に夜の10時を過ぎていて開いているはずがありません。
けれど自分ではどうすることも出来ないので、必死に扉を叩きました。
「すみません、すみません」
何度も何度も言い続けていると、ついに灯りがついて中から先生が出てきました。
「途中ではねられていた猫なんです」
と言って灯りの下で初めてしっかりと猫を見ると、まだ息はしているものの、助からないだろうと、自分は感じました。
「とりあえず痛み止めは打つけど、助かるかどうかわからない」
と先生は言って、自分はうなづくしかありませんでした。
翌日、メールでその後息を引き取ったこと、そして埋葬もしたと送られてきました。
そして再度獣医さんの所へ行き、お礼と治療費の半分を払って来ました(半分は先生もち)
それからも、何回か連続で猫かひかれいるのを見つけては、埋めました。
猫がひかれてもそのままにしているとどうなるか知っていますか。
何度も何度も車がその上を通って、最後は紙切れのようにペラっペラっになってしまうのです。
その遺体を剥がして埋めました。
その時感じたのは
人の人情紙風船…薄くてペラっペラっだということでした。
そして
今考えても、その時何かに取りつかれたことは感じませんでしたし、悪いことが起こった記憶もありません。
また、違う人を連れていってしまわれたおばさんの話にしても、霊を祓うことは善意でしていること(お金をもらわない)なので、仮に違う人を連れて行かれたとしても、すぐにそのおばさんも極楽浄土へいけると思います。
「同情」や「憐憫」、「善意」がペラっペラっになり、この世から無くなってしまうほうが、自分には恐ろしいです。
そして霊はその「神道系」と「仏教系」の二種類の上に更に上の分類があると思っています。
それは「本来の霊」と「思念の霊」です。
やはり学生時代に読んだ本でシャリーマクレーンの「アウト・オン・ア・リム」と言う本があります。
その中での降霊術の話の中で、試しに今まで生存していなかった霊を呼び出す試みをしたそうです。
そもそも霊は生きているものが死んだ後に出てくるものです。
今までにいなかった人の霊は存在しないはずなのに…。
しかし、数日後に降霊に成功するのです。
つまり人間が霊を「製造」したのです。
これは「人間が」というよりは、「宇宙に」そのような法則があるからなのではないかと思っています。
「惑星ソラリス」という映画には、ある未知の惑星ソラリスを調査するために送り込まれた研究者たちに、おかしなことがおこるのです。
https://youtu.be/mEHlVZl1d6s?si=WON8C6nQWGfPcVWZ
それは想像するだけでそれが「実体化」するのです。
ある研究者は死んだ妻を想像してしまい、その妻が実際に宇宙船の中に現れるのです。
だから、
人間がしているように思っていても、他の力によって起こることもあると思うのです。
「しかし、ソラリスは映画だし、現実ではない」
と思われるかもしれませんが、現在の量子力学では「観察者」が「見ること」によって物質は形となる、という発見がありました。
「惑星ソラリス」で描かれたことは、やっと徐々に現実として発見されています。
実際に「科学の発明」と言いますが、その法則はずっと前からあったはずで「科学の発見」しかこの世にはないと思います。
あらゆる現象は既にあったことで、それを見つけただけだと思います。
もし「たたり」があるとすれば、それは人間が作り出したものだと思います。
それならば、人間が「消す」こと出来ると思います。
ただ、
「惑星ソラリス」では一旦「作られた偽物の妻」は、決して「無くなる」ことはありませんでした。
妻が自殺してもまたすぐに生き返るのです。
しかしそこはこの本のように最後は「消滅する」と考えたいです(成仏(上へ行く)ことが出来なかった霊はだんだんと自分が誰で何の目的があったのかを忘れて、最後は消えてしまうと書かれています…37頁)
また別の考えでは、惑星ソラリスと量子力学から考えられることは、もしかしたら、惑星ソラリスは予言的な映画だった、ということと、人間にはある「ルール」を作れる能力がある、ということです。
これは先程言った「宇宙がそのような法則がある」ということと反対に、「宇宙の法則」が人間の想像力によって「変化している」と考えられるということです。
ニワトリが先か卵が先かの問題になりますが、宇宙自体が人間がいなければ、存在しないという事です。
その他、金縛りの意味や「かぁちゃん」と言われる霊を束ねているのは「クババ」であるとか、新しいことがたくさん幽霊が答えてくれています。
全てのことが「事実」だとしても、この幽霊にもわからないところがたくさんあり、この証言も霊界のごく一部だと思いました。
結論として
楽しく妄想させていただきました。
https://youtu.be/ICQGzhtm-Dc?si=nAeru6ARiD81jChY
長々お読みいただきありがとうございましたm(_ _)m