茨城のお祭り ① | パーマン三号のブログ

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日本は様々な外国(特に中国)からの文化を取り入れて自国の文化を発展させてきました。

それでいて、どの国とも違う日本独自の文化になりました。

また異文化をそのままに残している場所が多いとも言われています。

アジアからのインバウンドが多いのは、失われた自国の文化を日本へ見つけにくるという理由もあるそうです。

例えば京都の萬福寺は中国から伝来した禅宗の黄檗宗の総社ですが、当然のことながら中国には既に黄檗宗はありません。

寺院もありません。

中国からの方は、日本のそれを見て自国の過去に思いを馳せることが出来るのだそうです。

しかし

日本も過去には自国の文化を否定したことが何度もあります。

廃仏毀釈や、漢字撤廃などその都度新しい文化が輸入されるたびに、今までの文化を否定してきました。

しかし、いわゆる「当時の文化人」たちが反対して、どうにか古の日本文化が語り継がれてきました。

瀬織津姫、客人神の起源が曖昧だったり、売茶翁の生涯が謎だったりしますが、そこには失われた「ミッシングリング」が存在します。

こうして形としてあるものは失われてしまいましたが、形のないのものは残りました。

それが伝承や口伝、ミームと呼ばれるものです。

ミームには伝承、口伝のように、ある限られた人々が代々受け継ぐものもあれば、みんなにオープンな「祭り」のようなものもあります。

こちらは「有形」ではなく「無形」です。

「無形」だからこそそのままに残ってこれたとも言えます。

しかし反面

「無形」だからこそ、みんながよく知っているような「無形文化遺産」ではなく、みんなが知らない「無形文化遺産」は大切にして引継いでいかなれば、元々形がないので直ぐに消えて無くなってしまいます。

世界には数々のオーパーツが存在しますが、その「技術」は誰もしりません。

宇宙人が作ったのか、それとも特殊な錬金術のような技術があったのか、今となってはわかりません。

何故なら

「技術」は「無形」だからです。


「無形」「有形」が無くなって行く理由は、時代の基準から外れてもの、悪いものだと「当時」判断されたもの、または積極的にそれらを残していく人がいなくなったからです。

しかし一旦無くなってしまえば、「独自の日本文化」だからこそ、後の時代になって辿ろうにも、世界中どこを探しても跡形もなく消えてしまっているのがさだめです。

だからこそ、今出来ることは「今の時代の基準」ではなく、伝わってきたものを、誰かがそのまま残すことが大切だと思うのです。


その意味で

諏訪神社の「御柱祭り」は毎回死傷者が出るにもかかわらず残されていると思いますし、大国魂神社の「くらやみ祭り」など、過去とは少し違ってしまったけれども残していく必要があると思います。


今回は茨城県の「珍祭」、「高道祖(たかさい)神社」の「道祖神祭り」を見に行きたいと思います。

「道祖」と書いて「さい」と読ませるのは「道祖神」が「塞(さい)の神」だからでしょうが、それを知っていたとしても一発で読める人はまずないしょう。

「高道祖神社」の「道祖神(どうそしん)祭り」の種類は「1-1祭り」です。

1年1組の祭りではなく「Hなお祭り」ですw

個人的にはささやかながら過去に、「美ヶ原道祖神祭り」や「かなまら祭り」「どんつく祭り」などを見てきました。

「高道祖神社」の「道祖神祭り」は、「かなまら」や「どんつく」に比べたらマイナーかもしれませんが、だからこそ参加してきたいと思っています。

「道祖神祭り」は下妻市ですが、同じく茨城県かすみがうら市には「道鏡祭り」という、更にマイナーな村人だけの口伝にも等しい「素朴なHな」お祭りがあります(そのお祭りには村人以外が参加出来きそうもありません)

このような「祭り」はマイナーな上に「下品」と呼ばれ、時代の基準からすれば今直ぐに無くなってもおかしくありません。

しかし未来に価値基準が変わり「とても意味のある祭り」ということになったとしても、無くなってしまっていたら、どのようなものがわからず、最悪それが存在したことすら、忘れられてしまう可能性もあります。

前回の「ひどい民話を語る会」のように、今の基準から外れた民話が語られ無くなったり、変形したり、省かれたりしてしまうように、基準から外れたお祭りではありますが、これからも「日本人のルーツに触れるお祭り」として残していって欲しいと思います。

そして

自分ができることは「見る(証人)」ことしかありません。

【訪問予定先】
・道祖神社
・高道祖神社
・大宝八幡
・ゑびすや
・下妻神社
・ビアスパークしもつ
・道の駅しもつま