11:48
川越氷川神社へ到着。
今風鈴イベントが催されていて、至る所風鈴で埋め尽くされていました。
ここは主祭神のうち四神は二組の夫婦、そして残る一神もその息子さんで、縁結びの神様として知られています。
そのため、風鈴と同じくうらわかき女性で埋め尽くされていました。
神社側も先着20名限定で縁結び玉を配ったり、良縁を釣り上げる「あい鯛みくじ」や「一年安鯛みくじ」をおいたりしています。
釣ったおみくじは境内の木に結ばず、鯛ごと持って帰り、常に鯛を持ち歩くことで、鯛が良縁を釣り上げてくれるそうです。
この一手間が大(鯛)事!
https://youtu.be/qusK7rUBdAs?si=8gO2K5TNWzU2nqLy
こんな感じ?
ここは無料の駐車場が近くに無いので路駐しての参拝だったので、気になってすぐに帰って来てしまいました。
12:24
喜多院へ到着。
ここは見どころ満載。
まずは近くの仙波東照宮。
日本の三大東照宮ともいわれています。
いづれにしても上野東照宮は入っていないんですね。
しかし、日曜日にしか開門せず本日は…
https://youtu.be/ePDpuFBjkb4?si=bhVmG-YtECnk0sqN
でも大丈夫、ちゃんと「保険」があります。
その名も「喜多院七不思議」。
…だったのですが、なんとなく気分が低目。
こんなことなかなかありません。
理由は色々ありますが、それは個人的な感想なので、ここでは書くのを控えさせてもらいます。
それも加えたら八不思議。
では調べて来た「七不思議」を探していきます。
その①『本堂の鈴』
本堂の鈴を鳴らしてはいけない。
(以下はその由来物語)
昔々、喜多院に現れた1人の美女が、和尚さんにこんなお願い事をしました。
「今日から100日間、お寺の鐘を撞かないと約束してください。もし約束を果たしてくれたら、この鐘をもっと立派な音色にしてさしあげます」
その様子があまりにも熱心だったため、和尚さんはお願いを承諾します。
鐘を撞かなくなってから99日目。
今度は物静かで麗しい女性が喜多院を訪れ、和尚さんにこう告げました。
「今夜一夜だけでも構いません。どうか寺の鐘をお撞きになって、私に音色を聞かせてください」
女性の気高い雰囲気に魅せられた和尚さんは申し出を断ることができず、言われるがまま鐘を撞いてしまいました。
すると、和尚の目の前にいた女性はみるみるうちに大きな竜へと姿を変え、雲を呼び、風を起こし、和尚さんを天高く吹き飛ばしてしまったのです。
和尚さんは嵐の中で独楽の様に99回も回された挙句、どうにか着地。
この事件が起きて以来、喜多院では鐘を撞くことが禁止されました。
現在は正安二年の銅鐘のみ、年に一度だけ除夜の鐘として撞かれています。
和尚さんの三半規管にバンザイ!
その② 『三位稲荷』
喜多院には、一般の参拝客が絶対に辿り着くことのできないお堂「三位(さんみ)稲荷」が存在します。
確かにたどり着くことは出来ませんでした(どこかもわかりませんでした)
その③ 『明星杉と明星池』
明星駐車場の隣にある史跡にまつわる伝説です。
ある日、池の中から不思議な光が浮かび上がってきて、あっという間に空高く舞い上がり、明星となりました。
それでこの地にお寺を建てて祀ったということです。
その④『日枝神社「底なしの穴」』
喜多院のお向かいにある日枝(ひえ)神社(東京都千代田区赤坂にある日枝神社の本社)に伝わる伝説です。
一見、喜多院とは関係がないように思えますが、実はこの「底なしの穴」は喜多院飛地の「竜の池弁天」に繋がっているといわれています。
しかし
実際に穴が(あったらしい処)は、既に土や枯葉で埋まってました。
(以下はその由来物語)
はるか昔、まだ川越が海に面していた時代のことです。
仙芳仙人はこの地に神聖な力を感じ、お寺を建てようと考えました。
しかし、一面に広がる海が邪魔をして、思うようにお寺を建てることができません。
仙人は頭を抱えてしまいました。
そんなある日、仙人の前に竜神の化身を名乗る老人が現れます。
仙人は、「私の袈裟が広がった分の土地を、陸地としていただきたい」とお願いしました。
竜神はそれを承諾。
さっそく仙人は袈裟を海の上に広げました。
すると、袈裟は数十里の大きさに広がったのです。
予想外の事態に竜神は焦り、仙人に交渉を持ちかけます。
「これでは私の住む所が無くなってしまう。小さな池だけでも残して欲しい」
仙人は池を残すことを約束しました。
そして、土仏を作り、海に放ると、あっという間に海水が退いて陸地が現れたのです。
仙人は竜神のために、池の脇に弁財天を祀りました。
これが「竜の池弁天」の起源です。
別称「双子池」は日枝神社の「底なし穴」と繋がっているからです。
こちらは今もコンコンと湧水が溢れ出していて、自分が訪れた時にご近所の高齢男性が水をペットボトルで汲んでいました。
その⑥『榎の木稲荷(三変稲荷)』
(以下はその由来物語)
昔々、喜多院には化け上手な白狐が長い間住み着いていました。
しかしある日、とうとう正体を見破られてしまい、お暇を出されてしまいます。
そこで、白狐はお礼と称して、尊海僧正に「仏教の祖である釈迦が布教をしている姿をお見せいたします。
ただし、私が化けている間は一言たりとも声を出してはいけません」と言いました。
尊海は「それはありがたいことだ」と、かたく約束します。
ところが、いざ白狐が釈迦に姿を変えて布教の様を再現し始めると、尊海はいたく感動してしまいました。
そして、思わず「ありがたや、南無阿弥陀仏」と声を出してしまったのです。
その途端、釈迦は姿を消しました。
榎木に登って化けていた白狐の変身が解けてしまったのです。
さらに、狐は木から落ち、命を落としてしまいました。
尊海は白狐を哀れみ、狐が登っていた榎木の下に亡骸を祀りました。
その場所が、現在「榎の木稲荷」のある場所です。
喜多院から少し離れた場所にあり、もともとはこの辺りを治める「首長」の古墳だったと書かれてありました。
このお狐さんは「首長」にも化けられた、ということでしょうか。
大きな立派は榎木がこんもりとした土塁に刺さるように生えていました。
その⑦『琵琶橋』
(以下はその由来物語)
ある日、尊海僧正は弟子と共に喜多院へ帰る途中、道に迷ってしまいました。
あちこちと歩き回っている内に、一行はある小川に辿り着きます。
ところが困ったことに、小川には橋が架かっていないため、渡ることができません。
その時、どこからともなく琵琶法師が現れました。
弟子達は法師に事情を話し、道を尋ねます。
すると、法師は「私が橋を作りましょう」と言うやいなや、持っていた琵琶を川に浮かべました。
琵琶は見る見るうちに姿を変え、立派な橋になったのです。
僧正一行はその橋を渡り、無事に喜多院へ帰ることができました。
数年後、法師が琵琶を浮かべた場所に橋が架けられました。
この逸話から、その橋は「仙波琵琶橋」と呼ばれるようになったそうです。
ここはパスしました。