アフォーダンス 2冊感想文 | パーマン三号のブログ

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アフォーダンスとは環境が人間に与える意味のことです。

例えば蛇口、あの取手は「回す」と言うアフォーダンスを持っています。

蛇口を見ると叩いたり、引いたりせずに「回す」ことを誰もがします。

それは特定の人間に対してだけでなく、ほとんど全ての人が「回す」からです。

更に蛇口に「赤色」と「水色」の印がついていたら、「赤色」はお湯、「水色」は水と考える前にわかります。

これも蛇口の色のアフォーダンス(厳密にシグニファイアと言う)です。


人は何かを知覚する時、眼から入って来て脳が処理すると言う「主観主義」や「経験主義」で説明されてきましたが、このアフォーダンスを適応すると、全て野人が共通に知覚することがあることがわかります。


例えば神様

鰯の頭も信心から

鰯すら「ある人」にとっては信仰対象となる、と言うことです。

これは極端な個人主義だと思われてきましたが、アフォーダンス的には「鰯」には信仰対象となる要因が既に備わっている、と言う事になります。

物の無限のアフォーダンスから拾い上げるのは「こちら側」ですが、「ない事」を拾い上げることは出来ないのです。

「ない事」を拾い上げることは出来ない、と言うのであれば、神様と感じる対象は「既に存在」していて、「その存在」のどのアフォーダンスを拾い上げているか、と言うで何かしらの「神的存在」は「ある」ということになるのです。

もっと広く「霊的存在」と言ってもいいかもしれません。

例えば、心霊スポットに行くのは「霊に呪われたい」というアフォーダンスを「その存在」から引き出すし、宝くじが当たるように祈るのも「その存在」から「幸運をさずかる」というアフォーダンスを引き出すのです。

いずれにしろ「その存在」はいなくてはなりません。

音楽は単なる音の振動の連続だし、カクテルは全てアルコールの一種だけれど、同じ物を聴いたり飲んだりすると、同じ反応が起こるのは、受け手の能力ではなく、対象のもつ力なのです。

アフォーダンスはあらゆることに適応されるで、それを知ったからと言っても何も変わることはないかもしれませんが、人間の知覚は個人個人孤立しているわけではない、と改めてわかります。

親鸞は「私達が信仰するのではなく、菩薩が信仰させるようにしてくれている」

と言いましたが

信仰を菩薩のアフォーダンスと親鸞は考えたのです。

アフォーダンスに似た言葉でシグニファイアは「知覚」と「認知」の違いだとか…

なんかムズい

アフォーダンスでなく

(わたしは) 

アホーザンス♫

https://youtu.be/L4yHeMLDlrM


【備忘録】

『アフォーダンス』佐々木正人著

・ロボット問題→フレーム問題
・ゲシュタルト心理学→音符のひとつひとつを総合してメロディに聞こえる心理
→知性がそうさせる=中枢推論説
→恒常性仮説に基づく
⇄アフォーダンス→環境から受ける知覚が重要

・ギブソン「空軍視覚私権」→パイロットの視覚について→地面の草を基準にしていた→知覚とは、「変化」に埋め込まれている「不変」を知ることなのだ。

・視野は外を見るとともに自己の位置を確認

3《情報は光のなかにある》
・対象が見えるためには光がある
・光の密度によってトンネルがみえる(指触覚も似ている)

・動物には様々な視野がある(馬は215度みえて両目で像を結ばない)
・複眼は像ではなく光の強度しかわからない
・包囲光に囲まれている→面に反射する光
・視点が動くことで不動のものがわる

★アフォーダンスは「環境が動物に与え、提供している意味や価値」である。
★ギブソン→アフォーダンス=空気、物質、面の三構成で出来ている

★空気→陸生物に生きることを可能とする
★物質→不均衡で移動を妨げる
★面→物質と空気の間にあるのが面
★ユークリッド幾何学→面、空間、線で世界を表している
★ギブソン→面、触媒(空気)、縁で世界を表している→生態幾何学
・アフォーダンスは環境と行為の事実である


『アフォーダンス入門』佐々木正人著
・サンゴ礁→サンゴ虫と藻がサンゴ礁を作っている→藻は光を必要とする
・ダーウィンもサンゴ礁を研究していた→沈下説=少しずつ大地が沈んでサンゴ礁が広かった→三種のさんの謎にも答えている
★環境と生き物の行為が一致して生き残る→つまり生き物と環境を切り離して考えるべきではない

・大地の肥沃な土はミミズの糞
・ダーウィンの進化には目的がない→ミミズは地球の表面を変えるために糞をしているわけではない→何のために生きるかは愚問→「ミミズと土」参照
★生き物の結果をみて行為の原因を知るのも愚行
・ミミズは光にも反応するし、皮膚で呼吸しているので、息を吹きかけると逃げる、音も空気中の音でなく皮膚に伝わる音には敏感
★ミミズの穴ふさぎには葉を選択的に入れていた→刺激-反射説は否定された
・カエルの捕食も虫によって舌の形をかえて食べる→刺激-反射説は否定された
★ミミズもカエルも知能がある

・カブトムシは起き上がるために道具をみつける
★ぼくらを取り囲むところには行為が利用できることが無限に存在している。これら環境にあって行為が利用していることを「行為だけが発見することのできる意味(これからこの本では意味という時にはこれをさすす)」とよぶことにしよう
★アフォーダンス→環境にあって行為が発見している意味→生態心理学
・生き物を考えるとき生き物だけを考えてはだめだ→知覚ではなく環境だ→生態学的情報
★僕らが知覚し行動する情報は環境情報とは無関係だ→痛みがトゲか針かはわからない
★脳が知覚に意味を与えた→伝統的知覚モデル→本当の刺激は何かわからない→ギブソンはこの「間接的知覚」は違うと言う
・情報から中枢を通って意味を作る「情報処理」理論⇄環境を直接知覚できる「情報ピックアップ」理論(ギブソン)=世界にはそのまま意味になることがある
★地面、水、大地はそのまま利用した
・大気→振動が知覚される
・光→誰もが同じものをみてる
★意味の個人主義を越えている

・環境の安定した場所を探し定位置にするように行動している→姿勢
・姿勢を保つために微妙にうごいている→ベルシュタイン「協調」と呼んだ
★脳にあるのは世界の「地図」ではなくて、世界との関係を調整する働きの一部なのである。
・物を利用する、とは物が本来持っているアフォーダンスを引き出すこと、また行為の動機の全てが物が持っているものへのアフォーダンスからはじまる