赤穂浪士を偲び、ゆかり地で山科義士まつり | 京都の春夏秋冬とプラスα

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今から313年前の1702年(江戸時代・元禄15)の12月14日に、赤穂浪士の吉良邸討ち入りが行われた。この日に合せ京都市山科区で「山科義士まつり」が開かれ、討ち入り装束に身を固めた十七士らに扮した住民が赤穂浪士を偲び山科区内を練り歩いた。

山科は、赤穂藩の家老であった大石内蔵助が江戸の吉良邸に打ち入るまで約1年間、隠せいした地として知られる。

□ 住民が主役の山科義士まつり
山科の住民と企業・行政が一体となり地域の健全なコミュニティづくりの一環として、連帯感の育成・高揚を目的に昭和49年から始められた。今年で41回目となる義士まつり推進母体は山科の全13学区自治連合会で、配役は毎年学区毎に持ち回りで決められている。

案内チラシには、全ての義士名とその役を担う住民名が記されていた。ちなみに主役の大石内蔵助、息子の大石主税(ちから)、藩主・浅野内匠頭(たくみのかみ)の妻・遥泉院の役は今年は百々学区の住民が担当。

□ まつりの隊列と構成
隊列は、吉良邸討ち入りに際しての大石内蔵助を筆頭とする表門隊24名大石主税を筆頭とする裏門隊23名婦人列ふれ太鼓隊の本体に加え、まつり関係者を含め総勢約120名。

□ まつり行列のコース
午前10時に毘沙門堂を出発し旧三条通に出て、外環状線を通り新十条通から大石内蔵助の閑居跡の岩屋寺に立ち寄り、内蔵助を祀る大石神社に午後2時30分~3時に到着する約5.5㌔を歩く。毘沙門堂近くには切腹した義士たちの剃髪を納めた瑞光院がある。



□ 沿道でかちどきを上げる義士隊
コース沿いにある保育園等の前では義士隊は立ち止まり「エイエイオー」と刀を掲げてかちどき上げると、園児たちからは一斉に拍手がおきた。

大石神社での義士隊のかちどきと奉納舞踊
巡行を終えた義士隊は神木の大石桜の脇で本殿に向かってかちどきをあげた。

このかちどきの後、女性陣による「大石音頭」と「元禄花見踊り」が奉納された。