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東雲は色無き風も色付けり 春行士
秋の風は白い風または色のない風と言われます。この句は色無き風が季語です。
今朝の散歩は4千歩も行きませんでしたが、明け方のまさに「しののめ」という大和言葉がぴったりのきれいな空が見られました。
・・・これでうまくアップできるかな。スマホからまだうんくできずに
いやあ、ほんとに久しぶりに更新します。
2006年のきょうの僕の俳句は、
新涼の息吹の中に皇子(みこ)生まる
でした。
アメブロにいろいろ付加装置ができて入りにくくなりほとんど止めていましたが悠仁親王のお誕生日を記念してまた始めます。手術した眼も順調に回復していますので。
春行士
きょうは旧正月。1月1日にご挨拶できなかったので今日旧暦での謹賀新年です。
アメブロのやり方に馴染めなくてなかなかアップデートしません。
このブログも14年目に入っている。またサボってしまった。月日の経つのが早くて早くて・・・といっても俳句の雑誌が1100号も続くとはすごいことですね。椿先生の卒寿の宴も コロナのせいで3年越しとなりました。おめでとうございます。一昨日土曜日にお祝いに参加させていただきました。
三千歩歩いたところ手毬花
春行士
この句をフェイスブックにも掲げたのですが、紫陽花のことを手毬花ともいうことを知らせたくて、また本当に3000歩くらい歩いたときに出現して思わず句になったのですが、今考えるに、紫陽花でなくてもこの句は成立するということを思ったのです。つまり、季語が動くということです。
前回の、「相棒」の殺人現場躑躅咲く と言う句では躑躅の形、色合い、漢字のフィーリングが殺人現場という言葉にぴったりと来るのです。躑躅でなければいい句にならない。
それに引き換え、三千歩歩いたところに木蓮が咲いていてもいいのではないかと言えるのです。これが季語が動くということです。久しぶりに俳句講座になりました。
矢野家に伝わるお雛さま
石和にいた頃は兄弟みんな独身で若く、そろって生活していたから末っ子の僕にとっては毎日がイベントのようだった。この季節のこともよく覚えている。
矢野家には呉服屋をやっていた江戸時代から引き継いでいる7段飾りのお雛様セットがあった。大きな茶箱3つか4つの中に一つ一つ紙に包まれたお人形やミニ家具・道具(漆塗りのタンスや火鉢や碁盤など)が入っていて、桃の節句近くになると取り出してみんなで飾るのだ。すごい芸術品だ。7段飾りの前で母と映っている写真は僕の机の上に70年間置いてある。写真の裏に昭和24年4月節句と書いてある。母が墨で書いておいてくれてよかった。あの頃は旧暦で桃の節句を祝っていたのだと思う。石和だからかもしれない。端午の節句も旧暦で6月に兜や日本刀を飾っていたように思う。お盆は今でも旧暦で8月だ。
石和では、お雛様を飾ると近所の人たちが大勢見に来た。僕は隣に住んでいる「みどりちゃん」というガールフレンドがいて、彼女を呼んで一緒に甘酒を飲んだことを覚えている。銀行の人たちに(山梨中央銀行石和支店に時間外に遊びに出入りしていた。麻雀を後ろから見ていたりしていた)、「坊や、きょう彼女は?」とよくからかわれた。洋子姉のお友達が大勢着物姿で入れ代わり立ち代わり遊びに来て「坊や、坊や」と一緒にあられを食べたのが楽しい思い出だ。人生で一番もてた頃だ。
一片は落花とならず天をゆく
風を読む花もあるべし散り際に
くるくると五弁のままに散る桜
花屑の溜りを踏んでゆく墓域
どうもすみません、前に詠んだ句ばかりで。写真の貼り付け方もだんだんわかってきました。
春行士