矢野家に伝わるお雛さま

石和にいた頃は兄弟みんな独身で若く、そろって生活していたから末っ子の僕にとっては毎日がイベントのようだった。この季節のこともよく覚えている。

矢野家には呉服屋をやっていた江戸時代から引き継いでいる7段飾りのお雛様セットがあった。大きな茶箱3つか4つの中に一つ一つ紙に包まれたお人形やミニ家具・道具(漆塗りのタンスや火鉢や碁盤など)が入っていて、桃の節句近くになると取り出してみんなで飾るのだ。すごい芸術品だ。7段飾りの前で母と映っている写真は僕の机の上に70年間置いてある。写真の裏に昭和24年4月節句と書いてある。母が墨で書いておいてくれてよかった。あの頃は旧暦で桃の節句を祝っていたのだと思う。石和だからかもしれない。端午の節句も旧暦で6月に兜や日本刀を飾っていたように思う。お盆は今でも旧暦で8月だ。

 石和では、お雛様を飾ると近所の人たちが大勢見に来た。僕は隣に住んでいる「みどりちゃん」というガールフレンドがいて、彼女を呼んで一緒に甘酒を飲んだことを覚えている。銀行の人たちに(山梨中央銀行石和支店に時間外に遊びに出入りしていた。麻雀を後ろから見ていたりしていた)、「坊や、きょう彼女は?」とよくからかわれた。洋子姉のお友達が大勢着物姿で入れ代わり立ち代わり遊びに来て「坊や、坊や」と一緒にあられを食べたのが楽しい思い出だ。人生で一番もてた頃だ。