今日は古代メソポタミアで強力な神権政治の象徴となった聖塔ジッグラトについてみてみたい。

 

現在の中東は、ヨーロッパからみた「日ののぼるところ、東方」を意味し、オリエントとも呼ばれる。この地域では古くから乾燥地域で遊牧生活が行われ、また沿海や河川流域、オアシスなどで農業が営まれてきた。とくに大河の流域には、灌漑農業が発展し、安定した農業生産をもとに人口規模が拡大し、高度な文明が発達していた。

 

山川世界史B p17より

 

現在のイラク、シリア、クウェートあたりにあるチグリス・ユーフラテス両河川の流域は、メソポタミアと呼ばれ、肥沃な土壌から生み出される豊かな富をもとめて、様々民族が移住。前3000年頃から都市文明が栄える。そのため複雑な歴史をくりひろげた。

 

こうした大河流域の社会では、治水・灌漑が早くから発達したため、大規模な権力集中の必要があって、そのために宗教の権威が用いられた。ジッグラトは、そうした強力な神権政治において用いられた聖なる塔をさす。ジッグラトとは、高いところを表す言葉で、日干し煉瓦を高く積み上げて作られている。

 

山川世界史B p18より

 

メソポタミア南部では、紀元前3000年ごろからシュメール人の都市国家が展開していた。

 

この地は早くから灌漑農業が発達、前3500年頃から人口が急増しはじめ、神殿を中心に数多くの大村落が成立していた。また文字が発明され、銅器・青銅器などの金属器が普及しはじめた。その後、前3000年頃になると、大村落が都市となり、各都市がそれぞれ独立するようになった。

 

前2700年頃までには、ウル・ウルクなどの都市国家が数多く形成され、これらの都市国家では、王を中心に、神官、役員、戦士などが都市の神をまつる、神権政治を展開。また、政治や経済、軍事の実験をにぎって人々を支配する階級社会が成立した。

 

その結果、優勢な都市国家の支配層には莫大な富が集まり、壮大な神殿・宮殿・王墓がつくられて、豪華なシュメール文化が栄えたが、前24世紀に、セム系のアッカド人によって征服された。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/df/Choghazanbil2.jpg

 

イランのフーゼスターン州にある、チョガーザンビールのジッグラト

メソポタミア地域以外で発掘された、数少ないジッグラトの一つ。古代エラム人による、祭壇を含む複合施設と考えられている。

 

出典:山川世界史

wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%88

 

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