【”痛むこころ”の回復】
みなさま、本日もこころのエステ・フィットネスに
立ち寄ってくださり、有難うございます。
冬休みに入りましたので、学期中まったく手づかずで
放置しっぱなしであったブログを
少し更新します。
クリスマスが終わりましたが・・・
ぜひ、クリスマスに思い起こされた
大切な人へのやさしい気持ち・・・
これは、クリスマスの日にだけでなく
できれば、毎日、大きなことでなくても
大切な方へ与え続けていただければと
思います。
*******************************
さて、わたくしは、牧師という職務上、
「聖書」という本について、みなさまにお伝えすることを
本職としておりますが
本日は、みなさまに、聖書を読むことのメリット利点を少し
私見ではございますが・・・お伝えします。
聖書をお読みくださる利点、
わたくしは、それを「痛む心の回復」と
お伝えすることがあります。
「痛むこころの回復」・・・この真意は大きく二つの意味をもたせていますが
① 傷ついた、痛んだこころが修復される。 神様の愛、救いを理解して
くださるところで、実現する
という意味と
② 痛むこころ・・・が回復する・・・少々難しいことなのですが
「痛み」が回復する・・・これは、「良心が痛む」というのでしょうか。
「痛み」が戻ってくる・・・のです。
つまり、今まで「痛まなかったところ」が
「痛むようになる」という意味です。
*******************************
人はできたら、誰も「痛みたくない」これが本音だと思います。
また、「痛み」は避けるものだと思いますが・・・
厳しいですが、「痛み」があることは、「安全」なのです。
かつて病院で勤務していた経験がありますが
「痛み」のない病気ほど、発見されたときには
「手遅れ」というものがあり、
痛みのないことは、実は恐ろしいことなのです。
聖書でいうところの「痛み」とは、
罪悪というものについての「痛み」です。
「罪悪」を見極める部分、その部分を「良心」といいます。
聖書を読む時、「人の良心が回復する」のです。
「人の良心」のことを、聖書でいうところの「愛」と
置き換えてもいいと思います。
ただ、「良心が回復したとき」
「痛む」ため、
その「痛み」が生じたとき、どのように「対処」
すればいいか、その方法をしっておく必要があります。
そうすれば、安心して「痛む」ことができるのです。
その方法とは、「イエス=キリスト」の十字架の痛み
「死」を知るということなのですが・・・
このことは、また、機会を改めまして
お伝えできればと思います。
******************************
本日もお読みくださって、有難うございます。
今日もみなさまの一日が良い日でありますように。
神様のお守りが豊かにありますように。
よろしければ下記アイコン
応援クリックお願いいたします。
(※本ブログは使用無料ブログを利用しておりますので、
サイドバーや下記ADスペースに自動的に広告が入りますが
弊ブログとの関係はありません)