【キリストは命のパン】
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「イエスは言われた。
『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る
一つ一つの言葉で生きる。』
(マタイ福音書4章4節)
『わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は
決して飢えることがなく、わたしを信じるものは決して
渇くことがない・・・わたしのもとに来る人を、わたしは
決して追い出さない』
(ヨハネ福音書6章35-37節)
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前回は、犠牲の命が命を支えるということについての
私見をお伝えしましたが、
聖書では、そのイエス=キリストの犠牲の命を
「命のパン」という言葉で表現しています。
「人はパンだけで生きるものではない」
これは、クリスチャンの方でなくても、
よく耳にされることばではないでしょうか。
身体を維持し、支えるために日々食物が必要である
のと同じように
わたしたちの「こころ」にも食物【栄養】が必要なのです。
その【栄養】を、聖書は【命のパン】と表現しています。
そして、その命のパンとは、
イエス=キリストご自身
だというのです。
下の画像は、有名な「最後の晩餐」です。
その食卓にパンがおかれているのですが、
それが「命のパン」を象徴しているのです。
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【こころの栄養】、それは、愛です。
愛され、また愛する対象が見いだせない時、
人は、 「飢える」「渇く」・・・と
上記の聖書は表現しているのですが
・・・どう思われるでしょうか。
また、その「飢え」「渇き」は、
金銭や物質的な物で満たそうとしても・・満たすことができない、
また、残念ながら人間の愛によっても完全に満たすことは
できないもの・・・
神様の愛によって、満たされるもの
とも記しています。
また、
「わたしのもとに来る者は決して(愛に)飢えることがなく、
わたしを信じる者は決して(愛に)渇くことがなく、
わたしのもとに来る者を決して追い出さない」
それは、神様の約束であり、
確かなものです。
「・・・決して追い出さない」
先日、「九十九匹の羊と一匹の羊」のお話を紹介しましたが
http://ameblo.jp/taizo-bokushi/entry-10200314136.html
そのお話と同様に、
創造主なる神様は、すべての人の存在を、
たとえ、その存在がどんなに小さな存在であったとしても
命がけで大切にしてくださること、
決して見捨てられることはないこと、
そして、決してあきらめられない・・・、
という神様のご意志を
強く表現している言葉なのです。
その約束の【言葉】こそ、
【命のパン】なのです。
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本日もお読みくださって、ありがとうございます。
今日もみなさまの一日が良い日でありますように。
神様の祝福、愛が皆様の上に満ち溢れますように。
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