【九十九匹の羊と一匹の羊】
【逆説の恵み、逆転の人生】
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「徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄ってきた。
すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、
「この人は罪人たちを迎えて食事までしている。」
と不平を言いだした。
そこで、イエスは次のたとえ話をされた。
「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、
その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して
見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
そして、見つけたなら、喜んでその羊を担いで
家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、
『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』
というだろう。
言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、
悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも
大きな喜びが天にある。」
(ルカ福音書 15章1-7節)
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一般的な、社会的な価値観では測りにくい
理解してもらいにくい聖書の神様、
その愛の価値観を紹介しています。
さて、みなさまは、自分の一生懸命考えた意見が
認められなかった、また反故にされてしまったような
ご経験はおありでしょうか。
世の中は、また、民主主義の世の中にあって
時に、正当なものであっても、少数意見が認められない
また意図的に消されてしまう・・という場合があります。
いわゆる【数の論理】というものです。
多数決の結果がすなわち【正しいこと】だと
ゴリ押しされてしまうことです。
特に、政治の分野では、強行採決につながるなど
【民主主義の悪しき慣例】ともなってしまうことです。
また、そのことで、【派閥】間の確執などが生まれてしまう
要因の一つです。
民主主義、たいせつな原則だとは思います。
しかし、大勢の人間が抱く思い、民意、意見が、
すべて正しいかといえば、どうでしょうか・・・。
大勢の人を動かしているもの・・・の中には、
貪欲や無責任(苦労はしたくない)・・・
というような思いがあるようにも思います。
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【99匹か1匹か・・・】
このお話は、読者にさまざまな葛藤を起こさせるお話
問いかけです。
羊を飼う、わたしを含めて、多くの日本の人にとって
また、このブログを読んでくださる方にとって、
実経験、体験としては、イメージしにくお話でも
あるでしょう。
ここに出てくる羊飼いは、創造主なる神様
イエス=キリストという存在の象徴です。
さまざまな解釈、メッセージが
この聖書の箇所にはこめられていますが、
■創造主の目に、不必要な人はいない。
すべてが、神様の宝として、
すべての人の存在を認められていること
また、
■創造主は、命がけで、人、その存在を助けようとされる方
たとえ、その一匹の羊をさがしだすのに、
たいへんな労力と時間、危険が伴うとしても・・・。
■イエス、キリストは、羊飼い、
迷い出た一匹をおろそかにされることなく
その存在を覚えて探し出してくださる方である
ということを知っていただきたいと思います。
わたくしたちが、どんなに小さな存在であったとしても、
人が誰一人、自分に目をとめてくれず、
気持ちや、意見を認めてくれなかったとしても
一人ももれることなく、存在を大切に思ってくださり
その訴えに耳を傾けて、心配してくださる救い主、
創造主なる神様なる神様がおられるのです。
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本日もお読みくださって、ありがとうございます。
今日もみなさまの一日が良い日でありますように。
神様の祝福、愛が皆様の上に満ち溢れますように。
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