【1デナリ:イエス=キリストの命、十字架の贖い】 | 【こころのエステ・フィットネス鹿児島】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~ 聖書のことば・智 慧[EQサプリメント]

【1デナリ:イエス=キリストの命、十字架の贖い】

本日も立ち寄ってくださり、有難うございます。

この記事は、こちらのお話からの続きです。

http://ameblo.jp/taizo-bokushi/entry-10197949112.html

さて、いつもは、わたくしは、こちらのブログ、記事は

聖書を全く知らない方、クリスチャンではない方向けに、

聖書のことをあまりご存じなくても、理解していただけるよう

意識して書いておりますが、


どちらかというと今回は、クリスチャンの方向けのメッセージ

となってしまいました。すみません。


よって、クリスチャンでない方には、少し馴染みのない

言葉を多用してしまうことをお赦しください。

何がいいたいのか、おわかりにくい記事となっているかも

しれませんが、お読みいただけるとうれしいです。


クリスチャンでない方には、また、いつか、別の機会に

それらについては解説していくことができれば

と思っています。


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本題です。

ぶどう園の労働者のお話に出てくる、【1デナリ】について、

わたしは、今回、この聖書の箇所を読みながら

新たに気がついたことがありました。


それは、この【1デナリ】は、

イエス様の尊い救い、十字架の贖い、

イエス様ご自身の永遠の命

を象徴していると、はっきりと思えたのです。


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ぶどう園の労働者のお話には、

【夜明けに】、【朝9時頃】、【12時、正午】、【3時】、【5時頃、夕方】


という時間滞、時刻が出てきますが、

これらの時間について何か思い起こされる

ことはないですか・・・。





・・・これは、イエス様がイスカリオテのユダに裏切られ

大祭司、律法学者達の策略によって捕縛され、

一晩中、不利、不当な裁判にかけられ、

愚弄、侮辱された挙句に

ゴルゴダの丘へ十字架を背負わされて向かわれ

十字架で処刑され、絶命される・・・

そして、墓に埋葬される・・・


その描写に使われている時間なのです。


下記、できれば、それぞれ聖書の箇所を引きながら

読んでもらえたら・・と願います。


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【夜明けに】

夜が明ける と、祭司長たちと民の長老たち一同は

イエスを殺そうと相談した。

そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した・・。」

(マタイ27章1-2節)


また、夜明けには・・・鶏が3度鳴き、ペテロの裏切りの言葉を

主は耳にされたことでしょう。(マタイ26章75節)


【午前九時】

「・・・兵士たちは・・・イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでから

かぶらせ、『ユダヤ人の王、万歳』と言って敬礼し始めた。


また、何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、

ひざまづいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく

紫の服を脱がせて元の服を着せた、そして十字架につけるために

外へ引きだした。


【こころのエステ&フィットネスジム】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~     聖書のことば・智 慧[EQサプリメント]-十字架の道


・・・そして、イエスをゴルゴダという所、・・・その意味は、

『されこうべの場所』・・・に連れて行った。

・・・イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。」

(マルコ 15章 1-25節)


群衆も、祭司長たち、律法学者たちも一緒になって

代わる代わるイエスを侮辱し、罵りつづけた・・・。


・・・イエスは言われた。

『父よ彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか

わからないでいるのです』 (ルカ23章34節)


【こころのエステ&フィットネスジム】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~     聖書のことば・智 慧[EQサプリメント]-パッション

【十二時、三時】

「・・・昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで

続いた。・・・太陽は光を失っていた。


三時にイエスは大声で叫ばれた。

【エリ、エリ、レマ、サバクタニ】、これは、『わが神、わが神、

なぜわたしをお見捨てになったのですか』

という意味である。


また、イエスは大声で叫ばれた

『父よ、わが霊を御手に御手にゆだねます』

こう言って息を引き取られた・・・。


すると神殿の垂れ幕が上から下まで

真っ二つに裂けた・・・。」

(マルコ15章33-38節、ルカ23章46節)



【こころのエステ&フィットネスジム】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~     聖書のことば・智 慧[EQサプリメント]-イエス様に栄光があるように

【午後5時ごろ】

「・・既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の

前日であったので、アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが

来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡し

てくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいた

のである。


ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、

百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。


・・ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に、

残しておかないために、足を折って、取り降ろすように

ピラトに願い出た。そこで、兵士たちが来て

イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と

もう一人の男との足を折った・・・。


イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので

その足は、折らなかった。


しかし、兵士の一人が槍でイエスの脇腹を刺した。


すると、すぐ血と水が流れ出た・・・。


ピラトは、遺体を百人隊長に確かめさせた上で、

遺体をヨセフに下げ渡した。


【こころのエステ&フィットネスジム】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~     聖書のことば・智 慧[EQサプリメント]-十字架1


・・・ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろして

その布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、

墓の入口には石を転がしておいた。



マグダラのマリアとヨセの母マリアとは

イエスの遺体を納めた場所を見つめていた・・・。


(マルコ15章42-47節、ヨハネ19章31-34節)


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【夜明け】【9時】【12時】【3時】【夕方5時】・・・


イエス様の十字架への道、

その命を、尊い贖いをすべての人に、差し出すために・・・

ご自身を献げるために・・・、

十字架刑に一歩一歩向かっていかれる時間と一致します。


「・・・わたしは、この最後のものにも

あなたと同じように払ってやりたいのだ。」

(マタイ20章14節)


この言葉がどれだけの重みをもつか・・・・

【1デナリ】・・・このぶどう園の主人が支払った代価が

どれだけ価値のあるものか・・・


クリスチャンのみなさまには

ぜひ、瞑想していただきたいと思います。


【こころのエステ&フィットネスジム】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~     聖書のことば・智 慧[EQサプリメント]-夕暮


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「1デナリ」をイエス=キリストの十字架の贖い、救いの象徴と

とらえるならば、このぶどう園の労働者のたとえは、

救いは、恵みであることをあらためて、考えさせられます。


恵みとは、「賜物」であり、「賜物」はわかりやすくいいかえると

「プレゼント」ということです。


イエス様の十字架を通して得られる「永遠のいのち」

は「プレゼント」であって、「報酬」ではないのです。


通常、わたしたちは、社会では働きに

それに対してもらえる「報酬」

という価値観の中に、生きていますので


「恵み」「プレゼント」ということが

わかりにくい場合があります。


プレゼントとは、「わたしにとってあなたは大切な存在」

ということを、ひとつ、形に表すものかと思いますが、


天地万物の創造主は、わたしたちひとりひとりの

ことを大切に思っておられる。。。


その形として、証拠として、イエス=キリストを

この世界に遣わされた・・と聖書には記されています。


それは、ある意味、創造主なる神様の一方的な

想いであるかもしれません・・・


でも、どうしても、その思いを伝えたくて

創造主は、イエス=キリストをこの地上に

遣わされた・・・。


しかし、その愛の究極の姿は

その御子を十字架につけて、

全人類の罪の身代わり(贖い)

とされることだった・・・。


ここがなかなか、多くの方に理解してもらえないこと

ではありますが、

最大の神の業、ご配慮、契約なのです。


イエス様の十字架を通して、わたしは、神の愛、

その本質をなんとかして、とらえ続けていきたい

そう思っています。


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【最初に雇われた(=契約を交わした)人】


これは、先にクリスチャンになった人を象徴しますね。


ところが、その一番先に召された人が

【1デナリ:イエス様の十字架】について、

主人に不平をいうのです。


「最後に来たこの連中と同じ扱いにするとは・・・」と。

また、「たったこれだけですか」と

【1デナリ:イエス様の十字架の贖い】について・・・。


これは、イエス様の救いが【報酬】ではなく、

【恵み:プレゼント】であることがわかっていない

ことを意味しています。


また、クリスチャンになっても、【罪人】であることは

変わりありません。


ただ、救いを知っている罪人、

永遠の命に希望をいただいた罪人

ではありますけれど・・・


イエス様の救いは、恵みであること、

その恵みを忘れてはならないと思います。


また、

【後のものが先になり、先のものがあとになる・・】


以下、個人的解釈ですが・・・


イエス様に救われた、(その経験をしたときの)喜び


長年クリスチャンであること・・・が時に、

信仰の倦怠期を迎えることがあります。


信仰の世界で、比較ということは、あまりこのましい

ものではないのですが、


もし

クリスチャンになったばかりの人が、

【=午後5時を過ぎて雇われた人】


その救われたことに喜びを感じている、

【=1デナリを受け取った時の喜び】


その喜び度・・・


と長年クリスチャンである方が、

【=夜明けに雇われた人】


が救い【=1デナリを受け取った時】に

感謝できる喜び度を比較したとしたら・・・、


どちらが高いか・・・


・・・なんて、いうのは、やめておきましょうね。


クリスチャンは、救われたときのこと(原点)を

決して忘れてはいけないと思います。


いつも、祈り、聖書を読み、主の恵みに感謝して

新鮮な感謝と喜びの応答を

共に主に捧げて参りましょう・・・。


【5時に雇われた人】:

その日一日中、不安で不安でいっぱい過ごした人、

明日に絶望し、希望が与えられていない人です。


しかし、【夜明け方に雇われた人】は、その時点で、

その日は本当に安心して生きることができたし

明日に希望を得られている人なのですから。


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【友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと

1デナリの約束(契約)をしたではないか】


主は、いつも、わたしたちのことを【友よ】と認め、呼んで

くださる方です。


1日、1日を支えてくださること、それで十分ではないでしょうか。


1デナリ、イエス様の十字架の救い、赦しは、

確実に、わたしたちの1日、1日を支え、満たしてくださり

赦しを与えてくださっている。


【その日の苦労はその日一日で十分である」

(マタイ6章34節)


の言葉を思います。


また、旧約聖書、出エジプトをした神の民を養った

マナのことを思います。(出エジプト記16章)


天からのマナは、一日分以上は与えられることは

ありませんでしたが、


確実に毎日、神の民を養うために、必要十分な量が

天から降ってきました。


しかし、残念なことに、イスラエルの民は

そのマナについて満足することなく

不平不満を言ったのです。


マナについて不平不満を言ったイスラエルの民のように

ならないように・・・と思います。


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「わたしの気前良さをねたむのか・・・」


ねたみ・・・これは、クリスチャンとしては、なんとしても

避けたいこと、警戒しないといけないこと、

こころの中にわき起こる動きに敏感になり、

主の愛によって、排除しておいてもらわなければ

なりませんね。


なぜなら、イエス様が十字架につけられたのは、

大祭司、律法学者、パリサイ人らの【ねたみ】のため

であったのですから・・・。(マルコ15:10節)



「自分の分を受け取って帰りなさい」


この言葉を私的に解釈すると・・・

イエス様の十字架の救いを毎日、きちんと受取り

日々、イエス様のもとに帰ってくるように

(悔い改め、赦され、重荷を下ろし、安らぐように)

というお勧めの言葉のように思えます。


【帰りなさい】・・・とは、家に帰りなさいということですから

放蕩息子は、【家】に帰りましたね。


【家】:主のおられるところ、もっとも安らぐことのできる場所・・・

常に、主イエス様のもとに戻り、帰るようにいたしましょう。


以上、今回は、クリスチャンの方向けのメッセージ、解釈でした。


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本日もお読みくださって、ありがとうございます。

今日もみなさまの一日が良い日でありますように。

神様の祝福、愛が皆様の上に満ち溢れますように。


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