武蔵野台地調査隊

武蔵野台地調査隊

Yhooブログの閉鎖ブログのにともない引っ越してきました。
武蔵野台地の湧水を中心とした自然や趣味の登山の話題について書きます。

長い山行記録もようやく最終回となりました。あとからあれこれ付け加えるとつい長くなる。

前回おやすみなさいまで書いたのでしたが、綺麗だった夕景のことを書き忘れてしまいました。
下山前の夕方、台風が迫る中、太郎平の夕暮れは中々のものでした。

連休中だった2日前は人が多くて賑わっていましたが、この日は閑散としてますね。静かな夕暮れもよいものです。

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太郎平にて暮れゆく山並みを眺めながら遥か56年前に起きた愛知大山岳部遭難事故に想いをはせた。 昭和38年の正月直前の大晦日に愛知大山岳部13名は折立から太郎平小屋へと向かう。このころ、大寒波が北陸地方を襲った。謂わゆるサンパチ豪雪の到来だった。この年の夏には黒部ダムが完成した。翌年は東京五輪、そんな時代でした。 結果的にこの13名全員が遭難し死亡するという傷ましい事故となった。事故後に愛知大が発表したレポジトリーに詳しい遭難の経過が書かれてている。時を同じくして、日本歯科大のパーティも太郎平小屋に到着。翌元日は地吹雪で終日足止め、さらに翌2日早朝、先に薬師岳に向けて出発したのは愛知大だった。途中にキャンプを設営した。その後、後発の日本歯科大が追い抜く形でなんとか登頂を果たした。この間に悪天候のままで下山するが愛知大と会うことなく、太郎平小屋までなんとかたどりつく。この頃愛知大は設営したキャンプにたどり着く手前で誤ってコース外の東南尾根に迷い込んでしまう。このまま13名全員が凍死する大惨事となった。 その後の捜索も悪天候のため難航をきわめ、最後の1人の発見は晩秋までかかったそうだ。あまり知られていない事だが、登頂を果たした日本歯科大も難なく帰還したわけではなかったそうだ。薬師岳から太郎平小屋までの下山時には、3度までも進路を見失い、その度に偵察を出してなんとか辿り着いたのだった。翌3日も地吹雪で動けず。4日は食料が尽きるため太郎平小屋からの下山を決意したが、折立までの下りやその先もたいへんな吹雪に見舞われて命からがらの悲惨な帰還だったとのことだ。サンパチ豪雪では下界でも200人以上が犠牲になったそうで、大寒波だったことがわかる。 遭難の原因については各所で様々に分析されており、そちらに委ねたいと思います。 改めて遭難した愛知大生13名に哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りします。 #北アルプス #雲ノ平 #太郎平小屋 #三俣蓮華岳 #薬師岳 #水晶岳 #雲ノ平山荘 #黒部五郎岳 #北ノ俣岳

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そして前回書いたように、小屋の中は一部不快な騒がしさもありましたが、無事によく寝ました。

お天気も問題なし。

5時すぎには朝食へ。
朝食もすいており、ゆったりスペースで美味しくいただきました。ありがたや。


小屋での記念撮影も済ませて6:20には出発。
木道も乾いており歩きやすい。

出発時には強風で寒いくらいでした。
台風の影響かな?
しかし、日差しは強くおり始めてすぐに暑くて半袖に。


木道が長く遠くまで見えています。しばらくは平坦。いや、緩斜路かな。

ホームベース型の池塘


薬師岳にも別れを告げます。




下りながら右手方向に途中何度も見えていた気になる地形。かなり長い平らな斜路。
なんだろう?そういえば、雲ノ平から同じ方角に剱、立山連峰が見えていました。そこで思い当たったのは室堂平から富山側にある弥陀ヶ原です。
登山地図を照らし合わせると弥陀ヶ原にまちがいないようです。ここも雲ノ平と同じく溶岩台地のようです。最初はスキーのジャンプ台のような人工的な斜路に見えましたが、スケールがデカすぎますよね。それにしても自然の造形にはよくおどろかされます。

   また話がそれますが、立山と言えばつい先日、剱岳で若い命が失われる不幸で残念な遭難事故がありました。19歳の単独女子が夕方滑落して亡くなりました。当初の報道では軽装で無理な行程が原因の遭難扱いでしたが、情報を集めて見るとどうやらそれだけでもなさそうです。登山初心者ながら単独、17時に登頂したあと下山中に滑落。日没後暗くなり1人恐怖に怯えながら焦りながら下山する不憫な姿が想像されます。行方不明になり兄上がツィッターで必死に情報提供を呼びかけておられたのがとてもお気の毒でしたが、多数の人から無事を祈る情深いコメントが入りました。
   報道によれば16時頃に頂上間際の下山専用のカニの横ばいを逆に登るところをガイド付きパーティとすれ違ったとのこと。これが彼女の生死の分かれ道とはなんともむごい事です。しかし、それを先立つ12:30ごろには劔山荘で目撃されています。登頂までの標準タイムは2.5時間だから地図を見ながら行けると踏んだのかもしれません。同じ日に劔沢小屋にいた方のツイッター情報は興味深いものでした。翌日の雨予想のためこの日は混んでいて下山者とのすれ違いで時間をロスしたかもしれないと。登頂まで時間を要しているようでもあり、不運が重なったことが伺えます。

改めてご冥福をお祈りします。


余談が過ぎました。話を戻します。
途中には絶妙なバランスのケルンがありました。


村が湖底に沈んだ有峰湖が見えてきました。

ほどなく登山口に到達。下りには3.5時間を要しました。愛知大の遭難碑に無事の帰還を感謝し、さっそく自販機でお待ちかねのコーラを買ってがぶ飲みしました。皆さんバス待ちがてら休息されていたようです。少しあとから降りてきた若い2名の山ガールは雲ノ平から偶然連日行動が同じ時間帯になりましたが、テン泊なので昨夜は薬師峠のキャンプ場だったようです。


駐車場はすいていました。連休明けだし台風来るし。
この後は熊に注意しながら着替えて山をおり、富山市内の日帰り温泉湯めごこちでゆっくり汗を洗い流して一休み。その後はさらに滑川に移動し、海鮮丼を食べてから帰宅しました。お盆とはいえ平日のためか、幸いにも高速の渋滞はなく早めに帰宅できました。
長い長い山行記録でした。また来年も黒部源流域を歩きたいところです。