武蔵野台地調査隊

武蔵野台地調査隊

武蔵野台地の湧水と北アルプス中心の登山日記です

最近の気象は少しおかしいかも。台風が多く、豪雨も増えた。さいかち窪は10年に一度湧出すかどうかの幻の水源といわれていたのに、ここ10年で4回(5年で4回)も湧出しています。登山でも雨に遭遇することが多いです。

前日に行ったゴルナーグラード展望台からの眺めをパノラマ撮影したものがありますので、掲載しておきます。

 

 

このパノラマはiPhoneで撮影した横長画像をアプリ(unsqured)で5分割したものを指でスライドできるようにしたものです。

左側からゴルナー氷河が右のグリンツ氷河に合流。

背後には左からモンテローザ、リスカム、双子山のカストルとポルックスやマッターホルンが勢揃い。壮観な景色です。千載一遇の眺めでした。

 

 さて、ツェルマット2日目は標高3800mのマッターホルングレイシャパラダイスまで上がります。下の地図の右上ですな。

 

 

ゴンドラリフトとロープウェイを乗り継いで一気に上がっていきます。

 

この日は雨の予報でした。

皆さんカッパ着てスタート。ややブルーな気分ですが、前日の快晴でかなり満たされてますので、皆さん明るい。

 

上がっていくと、それほどの雨でもない。

雨雲の上にでたようです。

眼下にはTheodul氷河。テオドゥル氷河と読むのかな?

 

 

 

 

頂上は雨が上がっていました。

後年にマッターホルングレイシャパラダイスと名付けられたようですが、前回来た時はクラインマッターホルンと呼ばれていました。

展望台からは雲がややありました。一旦下の氷河トンネルを見学に。

 

 

 

 

 

 

雪が強く圧縮されてできるのが氷河。手で触れても全く融けないので、つるつる。

そうこうしているうちに霧が晴れたようで、再び展望台へGO!

 

 

すっかり晴れてくれました。

マッターホルンは昨日より遠くにあります。

その後、ロープで少し降りてフーリから下山のハイキングです。

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ロープウェイはテオドゥル氷河の真上を通ります。氷河は碧く見えることがあります。

 

雪が厚く積もりその重さで圧縮されて堅くなったのが氷河らしいです。

 

途中見えた山小屋です。すごい眺めですよ。泊まってみたくなります。

 

リスカムかな?

 

これも氷河が削った谷だろうか。モレーンとよばれる氷河堆積物が見える。

 

マッターホルンがずいぶん近くなりました。

 

この日のトレッキングは時々雨なので1番下の方のフーリ駅から山を下りました。

スイスの高山花は日本アルプスのとほぼ同じものがありました。少し小ぶりの印象。

これはフウロです。

 

日本ではシオガマと呼んでます

 

登山者のための標識

 

途中に経由した村落です。食事ができるお店もたくさんありました。

 

この辺りの伝統的な瓦と床下のネズミ返し。確かにネズミは外から入れませんな。この辺りの地質は片岩という平らな板状構造の岩盤を見かけます。

 

 

 

                                               

これが片岩です。昨日逆さマッターホルンを歩いている時に見た岩です。

ゆっくり歩いて最初に出発したロープウェイの駅に到着後解散。

ホテル近くまで戻り、駅前の店でパスタとビールのランチ。日本だとファミレスくらいのグレードです。2人でなんと一万弱。ざっくり3倍のイメージですな。アルプス一万弱か。

 

このあとは、夕方まで再度ゴルナグラード鉄道で上がりましたが、雨が降り出し雲でよく見えないので下山しました。

つづく


夜中には星が綺麗に見えていました。翌朝、起床は530、朝食は630ですが、朝飯前に晴れましたので町中の展望スポットまでさっそく散歩しました。

この街は標高が1600mで朝は非常にさわやかな気候です。日本だと丁度上高地くらいの標高ですね。

 

  朝日は頂上からだんだんと色をつけて照らしていきます。いわゆるモルゲンロートなんでしょう。

 

  しばらく待つとすっかり見えていました。今日のゴルナグラード観光が楽しみな天気です。

 

  散歩ついでに添乗員さんから紹介されたパン屋Fuchsに寄ってみると早朝から開いていました。
ドイツパンにハムとチーズの挟まったサンドを購入。約1000円しましたが、お昼のお楽しみです。

 


この日は地図中央のゴルナグラード3089mの展望台に行きマッターホルンなどを眺めたあと、一駅降りてローテンボーゲンからリュッフェンベルグまでトレッキングです。


    ちなみにホテルの朝食ではドイツパンとコーヒー、ハム、サラミ、ベーコン、チーズなどのビュッフェで毎日堪能できます。

 

    チケットは2日間乗り放題のフリーパス約4.5万円(高い!)でした。



上の動画のように、出発してすぐに車窓からマッターホルンがよく見えてきました。

かなりの絶景。富士山のようにどこからもよく見るようです。

 

   登山鉄道の終点はゴルナグラード。展望台があります。

 

   マッターホルンよりも高い、モンテローザ(左)とリスカム(右)、

グレンツ氷河(中央)とゴルナー氷河(左から合流)


  25年前のグレンツ氷河です。右側の路側帯の様な黒っぽい線が目立つようになったから、氷河がやや減りましたかね。まあ、ゆっくりうごいてますからね。別の情報では100年前に比べるとかなり後退しているそうです。ちなみに25年前はまだフィルムの写真でした。写るんですがあった時代。


 

  マッターホルンもかなり間近に見えています。

  そのあとはゴルナグラードから一駅戻って、ローテンボデンからリッフェルベルグまで1.5時間のガイド付きトレッキングでした。

 

 そして、前回25年前には雨で見れなかったリッフェル湖の逆さマッターホルンを見ることができました。今日の晴天は、何かのご褒美のような気がしました。 

 

  昼過ぎに山の上のリュッフェルベルグ駅で解散、ランチタイムとなりました。



  日陰に座り、山を眺めながら、朝買っておいたfuchsのハムチーズサンドをほおばりました。固めのドイツパンに肉厚のハムと美味しいチーズがとてもおいしかったです。

 

リュッフェルベルグ駅です。

このあとは一旦街に降りて、スネガパラダイスへ
ケーブルカーの駅はツェルマット駅から少し離れた場所、川に近い山腹にあります。


ケーブルカーは山の中のトンネルを行きます。

斜坑と呼ばれるトンネルで、黒部ダムにも同じようなケーブルカーがありました。

駅までのトンネル内は冷んやりしていて寒いくらい。スネガパラダイスへは上のツェルマットの地図では左手側に伸びるコースになります。


スネガからは、ロープウェイに乗り換えて、ロートホルンの展望台へ。標高は3103mまで上がります。穂高岳や槍ヶ岳くらいの高さです。


ロープウェイで一気にあがりました。


マッターホルンには午後は雲がかかりました。



頂上からはフィンデル氷河が見れました。

これも25年前に来て観ています。

スイスの氷河は本当に川のような形態をしてます。


この日はたいへん天候に恵まれラッキーでした。

翌日も更に高い標高3800mまで上がる予定です。

予報は雨。どうなりますやら。

つづく

 

スイスアルプスを旅行してきました。

 

団体ツアーですが、軽いトレッキングが3回も含まれていてとても良かったです。今回はコロナでスライドしていた会社のリフレッシュ休暇を利用しました。海外は5年ぶりと、かなり間が空きました。その前まではタイやマレーシアのリゾートによくいったのですが、旅行会社のツアーが未だに復活していません(個人で段取りする根性はなし)。

 

 


今回の経路です。

チューリッヒ泊→ルッツェルン→レマン湖ブヴェイ→ツェルマット3泊(ゴルナグラードほか)→インターラーケン2泊(ユングフラウ)→チューリッヒ

 

 

 

 

スタートは成田から。久々の海外渡航でした。従来のシベリア航路は通れないようで、行きはアラスカあたりから北極、グリーンランドを経由する約13時間のフライトでした。上の動画で飛行経路が見えます。

 

機内でスイスビールを頼んでみました。米からできているそうですが普通に美味しかったです。ラベルの絵柄がスイスらしくてよいですな。

 

スイスは25年ぶりとなりました。山はそれほどは変わっていませんでした。前回も訪れたツェルマットとユングフラウの山々をめぐります。

 

上陸地はチューリッヒ。

着いたのは夕刻で日本とは7時間遅れの時差がありましたから、すぐ寝る感じ。向こうは夜9時すぎても明るく、防犯上は良い感じです。

明るくても無視して寝ました。

 

翌日、初日の観光は古都ルッツェルン、レマン湖とバスで周り観光し、ツェルマットに入ります。移動距離は計400km

 

ツアーは総勢16人。全てご夫婦でした。平日なので年齢は高めですが、トレッキングもあり皆さんお元気そうな方ばかり。

 

 

瀕死のライオン記念碑

18世紀に闘った兵士を讃えているそうです。

 

カペル橋

ルッツェルンを象徴する橋のようで賑わっていました。

 

この橋を渡り対岸にある教会へ

 

イエズス教会

 

内部は中々壮観ですな。

 

ムゼック城壁

周りは公園になっています。

 

この後レマン湖畔の街ブベイに移動してランチです。

湖にフォークが刺さっていて、ベンチもありました

 

レマン湖は琵琶湖どころではないかなり広大で海のようでした。

 

 

お昼は白身魚の料理でした。

さっそくビアをオーダー。スイスビールはなく、ベルギービア。まあ、何でもうまいです。

 

バスで少し移動して、湖を見下ろせるワイナリーへ。スイスワインの試飲会です。

スイスワインは生産量がそれほどないため、日本になどにはあまり輸入されていないそうですが、美味かったです。

記念に1本購入しました。

 

ワイン製造の説明を聞いてから、ワインを4種ほど試飲しました。

 

その後はバスにて、いよいよツェルマットに向かいます。

 

ティシュからは自動車は乗り入れ規制されており、電車に乗り換えて15分ほどでツェルマットに到着。

 

 スイスの電車はなんとなくシャレたデザインのものが多い感じです。

 

   以前と変わらない、ツェルマットの街並み。

 

   以前と変わらず、観光客で賑わっております。後ほど判明しましたが、本当に物価が高くてびっくりです。

 

   ホテルは前回泊まったアンバサダーの隣のミラビューでした。マッターホルンがバルコニーから見える部屋でした。

 

 

    ギリギリといったところですね。まあ見えています。

 

つづく

 

最終回を中々書き上げられませんでした。

怠け者でがんす。

3日目も鳥海山、遊佐、酒田、鶴岡と庄内地方を堪能しました。酒田は自身初の郷帰りとなった訳ですが、祖父が住んでいたのは戦前のこと。後日、老母に確かめたところ、戦後祖父母と何度か酒田には帰郷したと。広島からだとかなりの長旅だったろうなぁ。でも案外楽しい旅かもしれない。

鶴岡の歴史は楽しく興味が深まりました。念願の周平さんの記念館にも行けたし。今年はもう20冊も読んでしまいましたよ。まだまだたくさんあります。



さて、湯野浜温泉は鶴岡市の日本海沿いにあり、亀やホテルは老舗旅館で、上皇、皇太后両陛下ご夫妻もかつてご宿泊されたそうでびっくり。


意外と最近ですかね?


これはまた、日本海に沈む夕陽でがんすよ。

夕陽を観ながらの夕食です。


一つ一つが丁寧でした。

お世話をしてくれた中居さんは、どっぷり庄内弁で、言葉の語尾には のぅ がよくつきます。

がんす、は映画の海坂藩の人が使ってました。



魚はもちろんのこと


山形牛も堪能


絵画のような夕陽でした。



翌朝の朝食です。芸術的。


翌朝、旅館を出て加茂水族館に向かいましたが、途中で振り返ると日本海越しに鳥海山が見えました。



この水族館はかなり有名で、この日は祝日故に沢山の子供達が訪れてましたから、長蛇の列。



このような水槽がたくさんありました。

オットセイの餌付けもやってました


最後の立ち寄り先は、羽黒山です。

出羽三山はこの羽黒山と月山、湯殿山のことで、羽黒山には三神合祭殿があります。歩くと約1時間。

山道には高野山や永平寺のように、ぶっとい杉並木があります。


杉並木に聳える五重の塔


羽黒山といえばこの五重の塔です。国宝に指定されていて、三間五層柿葺素木造(さんげんごそう こけらぶきしらきづくり)。平将門が創建で今の塔は600年前室町時代に再建されたものです。徒歩10分ほどですが、基本登り坂です。

震災では揺れたでしょうねー

中には入れませんでしたが、スカイツリーにも応用された心柱がやはりあるそうです。心柱とは、塔内部の中央に通してある太い柱の事で、塔本体と心柱は接しておらず、地震時には揺れ方が違う両者で揺れを打ち消し合う巧みな構造です。

 実は、改修工事の合間にGW中は足場を解体してくれたそうで、ありがたいですね。こんなに素晴らしい観覧ができました。残念ながら、羽黒山の頂上まで登る時間はありませんでした。新幹線の時間に間に合うように新庄まで走って、レンタカー返さんとならんかたぁ。



樹齢10000年の爺杉です。国の天然記念物だと。


羽黒山を去り、新庄駅に向かいました。

レンタカーを返却して新幹線つばさで帰宅です。

鶴岡は鳥海山と月山の両者が望めるとても贅沢な土地だったんですね。両方とも綺麗だし、藤沢周平さんの映画のカットでもたびたび使われていましたよね。自分の先祖もこの景色を見ていたのだと思うと感慨深いものがあります。

月山に見送られながら庄内を去り、新庄より帰宅しました。

今回の旅は期待以上に良い旅となりました。

庄内地方にはまた行きたいところです。

見どころはまだまだあります。



 3日目はかなり長距離の旅になります。花巻から秋田方面へ横断し、横田、大曲をへて高速を降りて、日本海方向の由利本荘に向かいました。

 楽しみにしていた霊峰 鳥海山がさっそく出迎えてくれます。

 

  この画像は仁賀保から見えた鳥海山の雄姿です。まだ秋田県です。

image

山形県に入り吹浦というところに十六羅漢岩がありました。

岩に仏様が彫られているのです。当時、地元漁師の供養のために彫られたのだそうです。

よく見ないとわからないかもしれません。

 

そして、いよいよ庄内らしい風景が見えてきました。遊佐町付近です。

 鳥海山は藤沢周平さんのドラマや映画にはよく映されますよね。後ほど出てくる月山と非常に非常に秀麗な姿の山です。冬の厳しさを知らないからかもしれませんが、住んでみたくなる土地です。

 実は私のDNAの半分はここ庄内地方なんです。母方の祖父母が酒田の出身です。祖父は仕事で広島県福山市に遷り住み、母はそちらで生まれ祖父母の墓所もなので、これまで拙者が酒田に来る機会がなく、今回が初めてだったのです。もっと早く来たかった,と実感。

 

 遊佐町にある杉勇蕨岡酒造所。この杉勇(すぎいさみ)は酒田の銘柄で昭和のはじめごろまで祖父の一族が経営していた酒蔵でした。

 

  戦前に人手に渡りましたが、いまでも銘酒の味は引き継がれています。

 この日はお休みだったようで閉まっていましたが、感慨深いものがありました。

 

 

 

 大き目の酒屋さんで杉勇 純米吟醸 出羽燦々(でわさんさん)を買って帰りました。

 香りは甘めで、飲むとすっきり辛口。米の種類が出羽燦々という品種だそうです。

 

 そして、酒田へ。庄内藩といえば鶴岡に主城の鶴が岡城、酒田に枝城の亀ヶ崎城。

酒田には、豪商で大地主の本間家がありました。

庄内藩(当時は荘内)では、当時、「本間様には及びもないが せめてなりたや殿様に」といわれるくらいの存在でした。実際に本間家はその財力で何度も庄内藩を救いました。

藤沢周平さんの「義民が駆ける」を読みましたが天保期の大飢饉の後に幕府水野忠邦から三方国替えを言い渡された事件の様子を詳しく知ることができました。また、幕末には戊辰戦争で薩長新政府軍らと戦いましたが、最強隊長酒井玄蕃の活躍で連戦連勝。これには本間家が手配した最新式の舶来武器が大活躍。負けないまま降伏し、その時にまたもや国替えの危機がありましたが、新政府に本間家が大枚を収めて乗り切ったそうです。

 

  本間家別邸 清遠閣・鶴舞園

 

 この年になると、和風庭園は気持ちが整います。

 

             灯篭越しに鳥海山が見えています。

 

        こんなふうに覗いてみると鳥海山がすっぽり。お見事。

 

 藩主酒井侯が領内巡視の際の休息所だったそうです。

 清遠閣には昭和14年には東宮殿下(昭和天皇)が宿泊したとのこと。

 自分のDNAの半分の故郷に始めて来ることができました。また来たいです。

 

 

そして鶴岡に移動し、鶴ケ岡城址公園へ。まずは、藤沢周平記念館をじっくり見学。
第1部は藤沢周平と鶴岡・庄内 
第2部は藤沢文学のすべて
第3部は作家藤沢周平の軌跡
企画展示は獄医立花昇手控えの特集が展示されていました。

 

 海坂藩の地図がありました。ご本人も城内に記念館ができるとは知らぬが仏でしょう。

目立つことを避けて生きた藤沢周平さん(小菅留治さん)ですから、意外でしょうね。

他には、周平さんの仕事場、自宅の書斎が再現されていて楽しかったですよ。

 

  庄内藩主酒井家の元祖は、昨年の大河であの海老すくいの踊りを披露した酒井忠次。

徳川四天王の筆頭家老でした。それゆえに幕末の戊辰戦争では東北列藩が寝返ったり降伏するなか譜代大名として最後まで佐幕派を貫いたのです。

 

 藩校の致道館。知識を詰め込むのではなく、自主性を重んじ自ら考え学ぶ意識を高めさせる方針は、徂徠学の教え。諸藩は幕府の方針に従い朱子学を藩学としていたが、庄内藩は荻生徂徠の提唱する徂徠学を廃校まで続けた。

 

 校舎の趣は、なんとなく昭和の木造校舎と似ています。

 

 致道博物館へ。これは郡役場。

 

  旧鶴岡警察署庁舎。取調室などがありました。

 

大宝館は大正天皇の即位を記念して建てられ、1985年までは私立図書館として利用されていたそうです。素敵ですな。

 

 

夕方まで庄内藩を堪能し、お宿の湯浜温泉に向かいました。

つづく