依存心 | 癒しのシーズーポッちゃん

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成犬になってから我が家に里子にきてくれたポラリスです

こんにちはグリーンハート

依存症って色々ありますよね。


私は義母との問題で、アルコールに逃げた。食べ物に逃げた。アルコール依存症と過食症。アルコールは酔えば考えなくてよい。過食症は食べている間は考えが止まる。アルコールがない!食べるものがない!そうなると元々抱えている心の問題にプラスされてそれがない苦しみがくる。どちらも苦しみながら克服しました。

その後、夫に依存していました。
側にいてくれないと自分を保てない。寂しい。突然義母が来るかも知れないからできるだけ一緒にいたい。夫が遅くまで残業の日が続くと絶望感や恐怖感で自傷行為をしてしまいます。これが数年前までの私。その依存する気持ちと考えを手放しました。だって「こんな事を繰り返していたら嫌われるかも」というおまけの苦しみまで背負うから。

6年前まで住んでいた家(今私の親が住んでいる)その両隣さんからきっかけをもらった気がします。

左隣には、老夫婦と中年の発達障害がある娘、さらにその娘である孫が住んでいました。ある日、娘さんがおばあちゃんの髪を引っ張って外に連れ出し、大声で叫びながら、おばあちゃんの顔を雪山に何度も埋めていました。止めなきゃと思ったら孫さんに「うちの人の喧嘩手出ししたら刺されるよ」と言われましたびっくり後日お孫さんから聞いたんです。
「ばあちゃんはじいちゃんを刺したの。じいちゃんが用事あっておいていかれたり、ばあちゃんの願い叶えられないと刃物を出して私シぬ!あんたコロす!って言って願いを叶えるようになって、それを繰り返すうちにエスカレートして最後には刺したの。ばあちゃん精神科に長年いれらた。」「ママもばあちゃんのやり方見て覚えちゃったから、自分の願いを貫きたいとばあちゃんやじいちゃんにこの間のように力をふるうの。ばあちゃんがじいちゃんへそういう事するのも続いてるから、通報するとお巡りさんいっぱい来てくれる。じいちゃん疲れ切ってる」
最初はおじいちゃんへの依存心だったそう。これを聞いてハッとしました。結局、大好きな旦那さんを苦しめている。

右隣は、中年夫婦と、働いていない発達障害の息子さん、働いている娘さんがいました。けたたましい物音や声が何度も聞こえてきました。ある日奥さんが「うるさくてごめんね。うちの息子学生時代にいじめられて引きこもってるの。心の病として通院している中で発達障害もわかった。こんなふうに自分生まれたのは親のせい、だから親は自分の為につくして欲しいって。だから娘と出かけたり楽しく話していると、息子が怒って襖投げつけてきたりぶつかってきたり喚くの。旦那が単身赴任やめて帰ってくるの。転勤族なのに転勤断ったら年収半分になるんだけど、男手いないと制御できなくなった」これも聞いてハッとしました。
僕は辛いんだよ。妹は健康でしょ?僕だけ見てっていう依存心。結局、必要で求めているお母さんを苦しめている。

こんな事があり、私はきっかけをもらえました。本を読み内観、本を読み内観。嫌われるかもという不安を手放すにはもっと愛される妻でいよう。魂軸で感じると別々に過ごすことも怖くなった。魂の学びとして考えると義母へのストレスが無くなった。何より、「だめな自分、誰からも必要とされていない自分」こういう考えがなくなった。人間として生まれたい、経験したい、そんな魂がたくさんいて、霊性の高い日本は大人気なんだとか。願い叶って生まれきたことは神様や守護霊さまに愛されて守られている。孤独なんてあり得ない。

それと、私も前述のお隣の息子さんのように、いじめられたから心の病になったと思っていた。でも違った。例えば、車を運転中に衝突された時Aさんは「どうして私がこんな目に…」と思う。また事故ったらと思って出かけることが怖くなる。Bさんは「死ななくて良かった。相手の保険で車買い替えれる」と思う。事象が原因ではなくそれらにどう感じてどう考えるかだと知りました。

たしかにいじめられても不登校にならない子もいます。心の病にならない子もいます。いじめは辛い、辛くない人はいない。でも、勉強できないことほうが痛手と考えられる人もいる。

魂は永遠。肉体は今生での乗り物のようもの。これを深く理解したので、たいたんが亡くなった時もペットロスにならなかった。たいたんが設定した学びを終えた、卒業おめでとう!頑張ったねあっぱれ!って気持ち。姿が見えないことに少しの間は寂しかった。でもあの世でもたいたんやることあるから。たいたんを愛しているからずっと応援しているから、あの世で学んで生まれ変わることに集中してほしい。

あっ長くなった笑い泣き
家族も友達もペットも、肉体の触れ合いではなく魂の繋がりが大切。そしてその自分の魂は神様の訳御霊。神様と繋がっています。愛って自分の内側から溢れ出すもの。この愛の泉がハートにあればもう依存症にはならないと確信しています。心の愛の泉が枯渇している人は、他者の存在でそれを埋めようとしても埋まりません。数多くの事件のニュース見ていても、自分愛の枯渇に向き合わず相手に愛を求めてそれが得られなかった故に起きているものが多いと感じます。

数年前のままの私だったら…自傷行為を止めようとする夫を刃物で傷つけていたかもしれませんね。  
独身時代に住んでいたアパートの大家さんは、私だけを見て!という重たい愛に刺されて亡くなっています。

どんなことも誰かのせいではなく、自分の内側に答えがあります。