幸せを感じるための思考法 | 60代シニア初心者のルンルンでドタバタな日常

60代シニア初心者のルンルンでドタバタな日常

50代で介護職を経験し実父と叔母の援助をしながら人生初の60代を生きています。これから『高齢者』と呼ばれるようになる私たちシニア初心者のために日常の自分を通して『シニアの心得』を発信しています。共感していただけると嬉しいです。ご一緒に歳を重ねましょう!

ラテン語の『メメントモリ』は

『死を意識せよ』

『一寸先は闇』

のように訳される。


「人はいずれ死ぬのだから

今を楽しもう」

あるいは

「いずれ死ぬのだから

現世の栄光や楽しみに執着してはいけない」

という意味の言葉となり

現代では場面によって

その意味合いが異なる。


流れ星


父が体調を崩していた一年前

痛みのために

死を強く意識したのか

枕元に私たちを呼んで

自分が亡くなった後のことについて

指示した。


私の実家は

後継が居ない。


父は

「墓仕舞いしろ」

と言った。


虹


先日

テレビでアナウンサーが

「あなたは墓仕舞いをお考えですか?」

と視聴者に問いかけた。


すると父は

「ない!」

とキッパリ答えて

ブチっとテレビのスイッチを切った。


父は

痛み止め服用のおかげで

手術もせずに

不死鳥の如く

健康体に復活したのだ。


少しでも

『死』について考えたくない

という態度で、

あの時意識した『死』を

自分の中から追い出した

ように見えた。


おばけDASH!


確かに

健康で何かに熱中している時は

死ぬことなんて

考える余裕がないし

考えたくない。


具合が悪くなると

「このまま死んじゃうのかな」

と誰だって心配になる。


両方とも自然なことだ。


死を意識するから

今が幸せに思えるのも

是、

死を意識しないから

今が幸せに思えるのも

是。


どちらも

『メメントモリ』のように

私には思える。


違うように見えても

本質は同じなのだろう。


なんとかして

幸せを感じたいのが

人間なのだ。