(一体なんなんだっ!?今の電話はっ!何が起こってる?ついさっき、俺の気持ちを慶喜に見抜かれた事による動揺がまだおさまっていないと言うのに・・・)
ふぅ、と一息ついて一方的に断絶されてしまった携帯を枕元に置く。
ちょうどシャワーを浴び終えた俺は、ベッドで寝る前の読書をしていたところだったのだ。
そんなところに慶喜からの突然の電話。
(・・・彼女を家まで送って行くだと?それだけか?)
いや、本心ではちゃんと分かっていた。
あいつが、慶喜が“そんな事”するはずもないだろうって事は。
(そもそも、彼女に会ったなんて・・・店を出たのはもう随分と前だぞ・・・今まで歌舞伎町に居たと言うのか?・・・俺を試す悪い冗談、か?)
そうに違いないと俺は自分に言い聞かせて本を閉じ、ベッドに潜り込む。
(でも、なんでこんなに落ち着かないんだ?)
「・・・・・・・・」
置き時計の秒針の音がやたらと耳触りで心をかき乱し、俺を焦らせた。
「ああああああああああああっ、もう!!!」
勢いよく起き上がり、クローゼットから乱暴に洋服を掴み取って急いで着替えた。
(何だって言うんだ、全く・・・)
着替え終わった俺は急ぎ足でマンションを出た。
「くそっ・・・」
流しの空車タクシーを待つ間、何度も慶喜の携帯に電話をかけたが直留守のアナウンスが聞こえるだけだった。
(電源を切ってるってことか?何考えているんだ、あいつは!)
ようやく空車ランプが点灯したタクシーを見つけて手を上げる。
俺の前に停車するのも待たずに駆け寄って、ドアが開くとすぐに乗り込んだ。
「×××の交差点のところまで・・・急いで下さい!」
茶道教室は俺のマンションから目と鼻の先にあるが、自宅はここから車で20分ほどの場所だと言う事は知っていた。
以前、紫音先生との雑談の中で聞いたから、おおよその見当はついている。
先ほど歌舞伎町からタクシーに乗っているとすれば、こちらが少し早く到着するぐらいだろう。
深夜だと言う事もあってか、15分ほどで目的地へと到着した。
タクシーから降りた俺はまわりを何度か見渡してみる。
このあたりは住宅街だから車の通りは少なく、次にタクシーが通れば2人がそれに乗車している事は間違いないだろうと思った。
数分後、緩い坂道を下って来る車のヘッドライトが見えた。
(あれ、か?)
俺は反射的に脇道に身を隠してしまった。
案の定、タクシーはスローダウンして大きな一軒屋の前で停まり、ドアが開くとまず慶喜が降りる。
「はい、どうぞ」
そう言って、運転席の後ろに座っている彼女に手を差しのべる。
遠慮がちにその手に掴まって、彼女もタクシーから降りて来た。
「あの、ありがとうございました・・・」
「ううん、気にしないで・・・って、あれ?」
慶喜はその場で立ったまま、何度も左右を見渡す。
「どうか、しましたか?」
「あ、いや・・・何でもないよ。きっと勘違いだ」
「え?」
「ごめん、気にしないで。それじゃあ、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
彼女が玄関の中へ消えるまで、慶喜はタクシーの傍らに立って見送っていた。
(やはり送り届けただけ、だったな)
分かってたけど、それでも俺は安堵して胸をなで下ろした。
そして再びタクシー後部座席のドアが開いたが、それに乗り込む事はせず、運転手にお金を渡す様子が見える。
(はぁ?何、してるんだ・・・どうして乗って帰らない?)
タクシーは再び空車のランプを点灯させ、住宅街から静かに離れて行った。
ヘッドライトの明かりも排気音も無くなり、しんと静まり返った時
「さて、と・・・秋斉、いるんだろ?」
小さな声で慶喜が言った。
「っ!!!!!」
俺はドキッとして、思わず口元を手で覆う。
「・・・匂い、だよ」
いつも飄々として、こんな鋭さはわざと隠して過ごしているのだ、この男は。
この俺が、やっぱり敵わない、とさえ思わせられる唯一の相手。
「・・・鋭いな、相変わらず」
俺が項垂れながら闇間から姿を現すと、ふっと笑って
「歩いて帰ろうか」
低く言って先を歩きだした慶喜の背中を見つめながら、俺も重い足取りで歩き始めた。
俺と慶喜のマンションはすぐ近くにあって、この場所から歩いて帰るとなると俺のマンションの方が近い。
だから、俺は自宅に到着するまでこうやって慶喜と話しながら帰る他、なす術はなかった。
「まさか、来るとはね・・・っていうか、想定内だけど」
「・・・なんやいらん事しよって」
「おっ?標準語じゃない・・・って事は、へえ・・・もう平常心を取り戻してるようだね」
「あの子はせんせの大事な娘さんや、あんさんの毒牙にかかったらイカン思ただけや」
「あはは、ひどい言われようだ」
「ほんまの事どす」
「・・・ねえ、秋斉」
神妙なトーンで名前を呼ばれ、横を歩く慶喜を見ると、その顔からは笑顔が消えていた。
「な、なんや・・・?」
「ねえ、そうやって自分を偽る事に意味はあるのかい?」
「・・・偽る?」
「秋斉の考えてる事なんて、お見通しだよ」
「・・・」
この目付き・・・こういう時の慶喜は、俺よりも1枚も2枚も上手だ。
酷く居心地が悪い。
俺は、悪戯が露呈して怒られる子供のような気分になる。
「そういう思慮深く冷静な秋斉は好きだし、尊敬するよ。俺には真似出来ないからね・・・でもさ、大事な子を泣かせてまで貫く様な事じゃないと思うけどね」
「慶喜」
「秋斉の考えを、彼女にきちんと伝えた方がいい」
「・・・ん、まぁ・・・」
「次に会う事があったら、だけどね」
何か含んだ言い方をして、慶喜の表情はいつもの穏やかなものに戻ったのだった。
(次に会う事があったら、か・・・)
慶喜の横顔から正面に視線を移し、俺はただ黙ってマンションまで歩き続けた―――
≪秋斉編6に続く・・・≫