隣の2人が賑やかな分、私と晋作さんの間に落ちた沈黙が余計に重苦しく感じられた。
「ま、例え付き添いでも、せっかく来て指名してくれたんだしな」
ちょうど目の前に運ばれてきたグラスを手に取って、
「はい、乾杯」
と厭味っぽく笑う。
「・・・」
「どうした?急に黙り込んで」
「・・・いえ、別に」
「別に、か・・・可愛くねえな」
「・・・っ」
なんだか泣きそうになってしまって、私はバッグを掴んで席を立った。
「すみません、お手洗いに」
誰にともなく言い捨てて、急いでその場から抜け出した。
「えっ?ちょ、ちょっと・・・!」
立ち上がった私に向かって背後から花ちゃんが呼び止める声がしたけれど、すでに溢れそうになっている涙を見られたくなくて、化粧室だと思われる奥の扉を開けた。
化粧室の扉だと思って開けたのは、どうやら非常口のドアのようだった。
(あ・・・れ・・・?)
またそのまま店内に戻るのも気まずかったし、とりあえず落ち着こうとそのままドアの外に出た。
(ここは・・・)
晋作さんが女性に頬を殴られたあの日、彼が立って居た場所に出てしまったのだと気づく。
反対側の方は、その時にバーから出て来た私が居た場所だ。
思いがけない場所に出てしまった驚きで、さっきまで溢れそうになっていた涙はいつの間にか止まってくれた。
(花ちゃんたち、楽しそうにしてたのに・・・飛び出して来ちゃった・・・)
突拍子もない自分の行動を振り返り、がっくりと肩を落とす。
でも、晋作さんの「可愛くねえな」の一言に傷ついてしまったから。
こうでもしていないときっとあの場で泣いてしまったから。
(その場で泣いていた方が、まだ可愛げがあったのかな・・・?)
自分に嫌気がさして、なんだか頭の中がぐしゃぐしゃになって、どうしたらいいか分からなくなる。
はぁっと息を吐き出してあの時の晋作さん同様、壁に背を預けて狭いビルの隙間から見える曇った夜空を見上げる。
すると突然、バンッ、と大きな音がした。
びっくりして音の鳴った方を振り向くと、私がさっき出て来た非常口のドアが勢いよく開き、晋作さんが現れた。
「・・・おい、ここは化粧室じゃねえぞ?」
クイっと口角を上げて笑いながら、私の方へ歩いてくる。
「・・・わかってます」
ぶっきらぼうに返して、私は自分の足元へ視線を落とした。
晋作さんは私と同じポーズで横に立つと、ポケットから煙草とライターを取り出して、あの日と同じ様に火を点けてゆっくりと吸う。
また冷たい言葉をかけられるのかと思うと、心臓が嫌な早さで動き始める。
ふぅっと晋作さんが煙を吐き出す音がしたと同時に視界が暗くなったと思ったら、急に煙草の味がしてびっくりする。
晋作さんが、俯いた私の顔を覗き込む形になって唇を奪ったのだった。
すぐに唇を離すと、目を見開いて彼を見上げている私を見てふっと表情を緩める。
そしてまた壁にもたれながら長い指に挟んだ煙草を口に咥えて、美味しそうに吸いこむ。
「・・・お前さ、素直になれって」
「・・・す、素直にって・・・それより、突然何するんですかっ!?」
我に返った私は、ドキドキと忙しなくなった胸を押さえながら抗議する。
「は?突然なんかじゃないさ、ずっとこうしたいとチャンスを狙ってた」
「・・・えっ?」
(ずっとって・・・?)
さっきまで彼に言われた言葉で落ち込んでいたはずだったのに、頭に中はもう別の事でいっぱいいっぱいになっていた。
すると晋作さんはその体勢のまま、くるっと顔だけこちらに向けて
「髪だって、ネイルだって、俺に会うから・・・だろ?店に来た理由はどうあれ、もう俺と会いたくなかった訳じゃないだろ?」
突然優しい口調で笑顔を向けられて、胸がきゅんとする。
晋作さんの、揺らぐ事のない自信に満ち溢れた態度が潔かった。
昔から天邪鬼で、言いたい事を素直に言えずに飲み込んでしまう自分とはまるで正反対だ。
(全部見透かされているのに・・・そうです、って言う勇気が出ない・・・)
「・・・」
言葉が喉元で引っかかって声が出せない替わりに、私は小さく首を縦に振った。
恥ずかしくて顔は俯いたままでいると、
「・・・素直な女は可愛いな」
「・・・っ!!」
またひときわ優しい声で言って、私を腕の中に閉じ込めた。
驚いた直後、意外とがっしりと筋肉がついている晋作さんの胸の感触が伝わってきて、じわじわと身体が熱くなる。
何度か髪を撫でた後、彼の胸に埋まっていた私の顔を見下ろして
「嫌なら、嫌って言え」
優しく命令して、ゆっくりと顔が近付いてくる。
またキスされる、とすぐに察したけれど、嫌じゃない事をちゃんと伝えるように私は目を閉じた。
唇が重なる直前に彼が鼻で笑ったのか、軽く息がかかった。
数回、啄むように唇を吸われて、やがて角度を変えながら深いキスに変わる。
今度は煙草の味に混じって、彼が飲んでいたウォッカ系のお酒の味もした。
私の顎を軽く掴んでぐっと上に向けられたせいで口が自然と開いてしまうと、タイミング良く舌が滑り込んで来て、私の舌を吐息ごと絡め取る。
濃厚で荒々しいキスに身体中が痺れる。
抱きかかえられて立っているのがやっとだという程膝から力が抜けてゆき、私は自分から晋作さんの肩に手を乗せていた。
どれだけそうしていただろう。
歌舞伎町という場所は、雑居ビルの合間で延々とキスを交わす男女なんて珍しくないのか、通りを過ぎてゆく人々は誰も振り返ったり立ち止まったりして見る様子もなかった。
色んな感情が渦巻いて、本当に頭がぼうっとしてきた頃、ようやく解放される。
鼻先がつきそうな距離で、晋作さんは自分の下唇をぺろっと舐めて
「・・・もう俺を試す様な事、言うなよ?」
きっと、私がさっき店で言った事を話しているのだろう。
彼の返事を予測して取った無意味な強がり。
そんな駆け引きは彼には通じない事を嫌と言うほど味わった私は、素直にひとつ頷いた。
「よし」
晋作さんは満足気に笑って、もう一度軽くキスをする。
「・・・戻るか?それとも、このまま」
私の背中と腰に回していた大きな手をおしりまで滑らせて、確かめる様にぎゅっと掴む。
「あっ、ちょっと!」
慌てて身じろぎすると
「はははっ、冗談だ」
愉快そうに破顔して、またちゅっと唇を重ねる。
「続きは後日だ。行こう」
晋作さんは、ぴったりとくっついていた身体を離して私の手を握り、非常口のドアの方へ歩き出した。
(続きって・・・)
その一言にドキドキしながら、少しだけお預けされた気分になった私は彼の手を握り返す手に力を込めた。
≪晋作編5へ続く・・・≫