それから1週間ほど経ち、「続きは後日」などと言われたものの、それから特にこれと言って進展はなく。
何度かメールをしたり、酔っ払った晋作さんが夜中に突然電話をかけて来る事はあったけれど、彼にとって自分は単なる客の中の1人でしかないのか・・・依然、はっきりしない関係である事だけは確かだった。
そして、何よりも肝心な部分。
自分は晋作さんの事をどう思っているのか・・・。
毎日そんな事で頭を悩ませていた、ある日の夜―――
『今から店の裏まで来い』
いきなり晋作さんからメールが届いたのは、そろそろシャワーを浴びようかと思っていた夜の23時過ぎだった。
(今からって・・・そんな急に・・・)
すぐに家を出て駅まで急いで行って、新宿からお店まで走っても30分はかかる。
どうせ理由を聞いたところで教えてもらえないんだろうなと思って、軽くメイクを直して家を出た。
家を出てから35分、もうすぐ店の前に着く頃を見計らって晋作さんにメールを送る。
はぁ、はぁと肩で息をして、店の前を通り過ぎ、ビルの角を曲がる。
(ここの事だよね・・・?)
いつの間にか二人の定番の場所と化した、店の非常口から出たビルの裏側。
晋作さんの姿は無かった事に安堵して、まだ少し乱れている呼吸を整える為、非常口ドアのすぐ横にしゃがみ込んだ。
(もう、なんの用なんだろ?急すぎるよ、ほんと・・・)
でも心の底ではこんな風に突然呼ばれたりする事が、なんだかとっても特別みたいで嬉しかった私は、自然と頬が緩んでしまうのを止められなかった。
5分ほど待つとガチャッとドアが開いて、かなりお酒を飲んでいるのか、覚束ない足取りの晋作さんが出て来た。
「おぅ、早かったな」
しゃがんでいた私を見つけるなり、そう言って彼も隣にしゃがみ込む。
「・・・もう、どうしたんですか?急に」
同じ目の高さにある晋作さんの顔を見つめる。
「なんだ、急に呼んだら迷惑か?」
質問に質問で返されて、うっと返答に詰まってしまう。
「迷惑・・・だったら、来てませんよ・・・」
不機嫌な様子を伺わせつつ、それでも緩んだ頬を隠せないまま言うと、晋作さんは楽しそうに笑って
「はっ、そりゃそうか」
と、私の頭をくしゃっと撫でる。
まるで晋作さんの飼い犬にでもなったみたいに私が気持ち良さそうに目を細めると、不意に唇に温もりを感じた。
貪る様に唇を求められ、晋作さんから流れ込んでくる強烈なお酒の味と相まって、次第に頭がとろんと蕩けてゆく。
「んんっ、んっ・・・」
晋作さんが私の身体を押し倒しそうなほど体重を乗せたので、思わず喉を鳴らすと
「あ、悪りぃ・・・」
唇を離すとさっと立ち上がって、私に向かって手を差し伸べる。
「へっ?」
ぽかんとその手を見返すと、私の手を掴んでぐいっと引っ張り上げた。
「へ、じゃねえよ。行くぞ」
「・・・行くって、どこへですか?」
私の手を掴み、先を歩く晋作さんの背中に問いかけたけれど、彼はくるっと振り返ってニヤリと笑っただけで答えてはくれなかった。
「ちょ、ちょっと・・・晋作さん、お店は?」
「ん?もう終わった」
ビルの合間を抜けて店の通りに出たところで、タクシーを拾って私を押し込むようにして乗車する。
晋作さんは運転手に行き先を告げると、奥の座席に座っている私の肩に頭を預けて目を閉じた。
(・・・どういう事?これからどこに行くの・・・?)
行き先も教えてもらえない不安と、ほんの少しの期待とが複雑に入り混じった私を乗せて、タクシーは新宿をどんどん離れて走り続けた。
やがて広尾の方へやって来たのだと分かった頃、それまで無言で目を閉じていた晋作さんがぱっと起き上がって
「そこの角のマンションだ」
と運転手に指示をする。
晋作さんが言ったマンションの前でタクシーを降りると、何も言わずに先にエントランスへ向かって歩き出す。
とりあえず後を着いて行くと、晋作さんが入り口のパネルに人差し指を当てる。
すぐに解錠される機械音が鳴って、大きなガラス戸が自動で開いた。
「わっ、指紋認証ですか?」
「ああ、初めて見たか?」
「はい・・・びっくりしました」
入り口からしばらく進み、エレベーターに乗り込む。
そこでもまた操作パネルに指を押し付けると、それまで点灯していなかった最上階のボタンが光り出した。
「すごい・・・」
「最上階に住んでる者しか上がれないシステムだ」
「へぇ・・・でも、もし何かあっても警察の人とか上がって来れないんじゃ困りませんかね?」
素直な疑問を口にすると、晋作さんは呆れたような表情になって苦笑する。
「あのなぁ・・・これから気持ちいい事しようって時に、そんな色気のない話すんなよな?」
「えっっ!?・・・あの、そ、そ、そ、それって」
しどろもどろになって身体を硬直させていると、餌に餓えた獣のような瞳で私を追いこみ、壁際に身体を押し付けて耳元に息を掛けられる。
「・・・いいだろ?」
低く甘い囁きに、息が止まりそうになって返事をする余裕すら失う。
晋作さんは私の首元に顔を埋め、耳の後ろまで舌先で舐め上げた。
ぞくっと全身を貫いた快感に耐えきれず、私はつい声を漏らしてしまった。
「ぁ、んっ・・・」
顎を上げて喉を反らせると、天井に備え付けられた監視カメラのレンズが視界の端に映った。
「あっ、晋作、さん・・・カメラが・・・」
慌てて身体を竦ませると
「ん?知ってる」
やめるどころか、監視カメラに映りやすい位置に私を抱き寄せて深くキスをする。
「んんーーーっ!」
広い胸に手を突っ張って抵抗すると、ちょうどエレベーターの扉が開き、晋作さんの顔が離れる。
ちっと軽く舌打ちして笑い、また私の手を引いて歩き出す。
最上階の廊下を奥まで進み、ポケットから取り出した鍵の束から目当ての鍵を探り出してドアを開けた。
とん、と私の背中を押して玄関に入ると、晋作さんは後ろ手でドアを閉めてガチャッと施錠した。
「そのままでいいから」
そう言って、靴を脱がずにずんずんと先へ進んで行く晋作さんに続いて、小声でお邪魔します、と呟いて部屋に入る。
部屋に入ってすぐ、窓の外のとんでもなく広いテラスが目に飛び込んできて、私は感嘆の声を上げる。
「うわっ、すごい・・・ちょっと出てみてもいいですか?」
振り返ると、ソファにどかっと腰を下ろした晋作さんが笑って頷く。
ガラス戸を開けると、初夏の爽やかな風が吹き抜けた。
「気持ちいい~!」
最上階から見える景色に胸を躍らせ、テラスに置かれたガーデンチェアに座って、緊張で火照った顔を冷やそうと目を閉じて天を仰いだ。
背後から晋作さんがやってくる気配を感じて振り向くと
「ふっ、気に入ったか?」
私のすぐ後ろに立ってふわっと腕の中に包み込む。
「はい、すごい・・・素敵ですね」
せっかく夜風で冷ました頬がまたすぐに熱を持つ。
ドキドキしながら晋作さんの次の言葉を待っていると、まったく悪びれずに
「んー、本来部屋なんて寝れりゃ十分なんだがな・・・ま、女を口説くにはもってこいのシチュエーションだろ?」
「・・・っ」
言ったその一言で、胸に鋭い痛みが走る。
今まで何人の女性がここでこうして彼と夜景を眺めたのだろうか。
この前、彼の頬を叩いたあの人もここに訪れたうちの1人なのだろうか。
そんな事が次々と頭をよぎり、熱いものが喉元まで込み上げて来る。
「・・・どうした?」
晋作さんは後ろから抱いたまま、黙りこくった私の顔を覗き込む。
なんでもないです、と言いかけて・・・素直に言いたい事を言わなきゃと思い直し、勇気を振り絞って彼に問う。
「晋作さんにとって・・・私は遊び相手、なんですか・・・?」
「・・・っは?」
一瞬、面喰った表情を見せたあと、肩眉をぐっと吊り上げニヤっと笑った。
≪晋作編6へ続く・・・≫