まさか・・・でも、どうして・・・?
信じられない事だけれど、間違いなくドアの向こうに秋斉さんが居ると確信した私は勢いよくドアを引いた。
「・・・っ!!!」
突然開かれたドアの向こう、いつもの艶っぽい瞳をこれでもかと言うほど大きく見開いて、秋斉さんは言葉を失って立っていた。
驚きのあまり、携帯を落としてもまだ固まったままだった。
「あ、秋斉さん・・・」
私が控えめに声をかけると同時に、持っていた杖が床に倒れた音がして、我に返った秋斉さんは気まずそうに視線を逸らし、床から携帯と杖を拾い上げる。
「・・・」
「あの、中へ・・・どうぞ・・・」
松葉杖ではなくなったとはいえ、まだ杖で身体を支えて歩く秋斉さんをこのまま立たせて話すのも悪いと思い、部屋の中へと促したものの、私の心臓は煙を出して壊れてしまうのではないかという程暴れていた。
秋斉さんよりも前を歩いていた私は、ベッドの上に出しっぱなしだった着替えなんかを素早くバッグに押し戻した。
「・・・」
部屋の中に入ってからも、秋斉さんは押し黙ったままだった。
ソファかベッドに、秋斉さんが座ってくれるのを待って、私も立ちつくす。
やがて、長く深いため息をついて秋斉さんが口を開いた。
「展示会の終わった頃、慶喜はんからメールがありましたんや・・・」
「・・・あ、はい・・・」
私がひとつ頷くと、秋斉さんは苦笑しながらベッドに腰掛けた。
「あんさんと、大阪に居てるって」
「・・・はい」
「それで・・・」
秋斉さんがゆったりと間をとって話すので、私は何も問いかけずに彼の言葉を待った。
しばらく言いにくそうに、口ごもった後、目を伏せて呟いた。
「“来ないと、僕のものにしちゃうからね”って・・・」
「・・・え?」
何の話をしてるのだろう?
何が慶喜さんのものになっちゃうのかな?
私の表情が心の中を物語っていたのだろうか、秋斉さんはふっと笑みを漏らして続けた。
「あんさんを、抱いてしまう、ゆう事や」
「・・・・・っ!!!!!!」
少し考えて、私はやっと意味を把握した。
「なっ、なっ、なっ・・・なんで、そんな事になってるんですか?」
まるでお門違いだが、秋斉さんに抗議するように彼との距離を詰めて目の前に立つ。
「・・・悪い冗談かと思た・・・けど」
湯だったタコのように顔を真っ赤にし、わなわなと唇を震わせている私を見据えて、すっと着物の中から白い腕を伸ばして両手首をやんわりと掴まれた。
「居ても立ってもおられへんようになって・・・」
掴んだ私の腕を自分の方へ引き寄せる。
引かれてつんのめりそうになった私は、ベッドに座る秋斉さんと自然と膝が触れる位置に立つ。
そのまま私の手首を解放した秋斉さんの両腕は、私の両頬へとあてられた。
「気が付いたら、京都からタクシーでここに来てしもたんや」
「そ、そんなっ・・・」
いつもの慶喜さんの冗談だって、悪ふざけだって・・・そう、思わなかったのかな。
「・・・確かめるだけのつもりやったのに、まさかバレてしまうとはな・・・」
自虐的な笑みを浮かべ、ふふっと息を漏らす。
「ど、どう、して・・・?」
ドキドキし過ぎて口から内臓が飛び出しそうだったけれど、私の口は意思に反して勝手に動き出す。
「な、なんで、秋斉さんがそんな事・・・確かめようとするんですか?」
「えっ?」
私の言葉が予想外だったのか、目を丸くしてこちらを凝視する。
「だ、だって・・・秋斉さんには、関係・・・ないじゃないですか?」
ここまで言って、一瞬ヤバイと思ったけれど、今まで押さえていた感情が溢れ出してしまい、自分でももう止められなかった。
「け、慶喜さんと私が・・・そういう事になったって、あ、秋斉さんは別に何とも思わないんじゃないですか?」
秋斉さんの顔が、どんどん悲しげに歪んでいく。
でも実際には、秋斉さんの表情が変化した訳じゃなかった。
私がぼろぼろと涙を零していたから、だから視界が歪んでいっただけだった・・・。
私は嗚咽混じりに、止まらない感情を吐き出し続けた。
「でも、わ、私は、慶喜さんとそう言う事には・・・なりませんけど・・・秋斉さんが・・・」
そこまで言って、私は唇を強く噛んだ。
これ以上言ったらいけない。
でも、もう止められない・・・。
「だって、秋斉さんが、好きだから・・・でも、秋斉さんはっ・・・うぅっ・・・うっ・・・」
自分の口を両手で塞いで必死に声を押さえ、目をぎゅっと閉じて視界を消した。
きっと秋斉さんは呆れた顔をしているだろう。
何を馬鹿な事を、って。
それか、なんとも思わずにただ涼しげな目をしているだけかもしれない・・・。
それを見るのが怖くて、悲しくて。
すると、ふわっと空気が動く気配を感じた。
「あほな・・・わてが何とも思わへん訳がないやろ」
いつもの綺麗な落ち着いた声の中に僅かな動揺の色を含んで、そっと私を抱きしめた。
お香の香りに混じって、微かに汗の匂いがした。
腕の中に包まれながら、ドアを開けた時に立っていた彼の着物が少し着崩れていた事、額や首筋にうっすらと汗がに滲んでいた事を思い出した。
足がまだ治っていないのに・・・走って来た・・・?
そんな事が頭をよぎりつつも、まだ止まらない私の涙は彼の着物の襟元をどんどんと濡らし続ける。
「あの夜、酔った勢いであないな事ゆうてもうて」
「・・・え!?」
思いもよらぬ告白に私が顔を上げると、目を細めてこちらを見降ろす視線とぶつかる。
ふっと小さく微笑んで続ける。
「酒の力を借りてしもた自分が、なんや恥ずかしいやら情けないやらで・・・」
「覚えてないフリをして・・・あんさんに悲しい想いさせてしもたね?」
「慶喜はんに抱かれて泣くあんさんを見て、自己嫌悪に陥ったんや・・・ほんに、堪忍な」
あの日、バスルームで泣いていた私を慶喜さんが慰めてくれた。
その時、多分秋斉さんはそれを見ていたのだ。
涙の原因も、彼はちゃんと分かっていた・・・。
「秋斉さん・・・」
まだ少し、頭も心も混乱していたけれど、それでも彼の気持ちは伝わってきた。
勘違いなんかじゃなかったんだ、と。
私は嬉しくなって強く抱きついてしまい、そのせいで秋斉さんは怪我した足をかばってバランスを崩した。
そのまま私が押し倒す格好になって、私達は抱き合ったまま勢いよくベッドへ倒れ込んだ。
「っ痛ぅ・・・」
「ご、ごめんなさいっ。足、大丈夫ですか?」
あの夜と、立場が逆転した状態の私は、慌てて身体を起こそうとする。
だけど、秋斉さんが私の背中に回したままの腕に力を込めたから、その反動で余計に隙間なく二人の身体が密着した。
「例え慶喜はんかて、あんさんだけは・・・渡しとうない・・・」
秋斉さんの胸にぴったりと顔をつけた私の頭上から、吐息混じりの切ない声が降りて来る。
「あ、き・・・」
彼の名を口にしかけた時、ふと背に回した腕が解かれた。
そして、ふわっと身体が浮いたかと思うと、あっと言う間に秋斉さんに組敷かれる形で寝ころんでいた。
目をぱちぱちと瞬かせていると、
「廻りくどい言葉なんか、いらへんよな?」
そう囁いて、私の唇を彼の細い指がなぞる。
少し目許を染めて妖艶に微笑む秋斉さんの顔が近付いてきて、柔らかい感触が唇に触れた。
挨拶のように軽く重なっただけの唇が離れてゆくと、秋斉さんはにっこりと目を細める。
私は、嬉しいのと恥ずかしいのと、笑いたいのと泣きだしたいのと、色んな感情がごちゃ混ぜになってしまう。
それでも、一番はやっぱり嬉しい感情だった。
だから、またとめどなく涙が流れたけど、それは嬉し泣きの涙だった。
秋斉さんもそれを察して、もう一度優しく笑う。
そして、その涙を指先で丁寧に拭いて、また口づけをする。
今度は、私の吐息ごと吸いつくしてしまう様な、深く甘い口づけだった―――
≪黙想9へ続く・・・≫