慶喜さんの出張にお供をして、初日は名古屋へ、2日は大阪へと移動した。
名古屋でも大阪でも、各支店の支社長との会食の席に同行したりするだけで、相変わらずこれと言って何の役にも立たない私だったが、慶喜さんからは、可愛い子がいるだけで場が華やぐじゃないかなんて能天気な返事を返されるだけだった。
会食を終えて大阪のホテルに戻って、部屋に向かうエレベーターの中。
「慶喜さん、ちゃんと社長のお仕事なさってるんですね」
食事の席で一杯だけ、と付き合わされたお酒に酔ってしまったのか、私はついそんな事を言って笑った。
出張と言いつつも、半分観光みたいにあちこち移動する慶喜さんに同行していただけだったけど、会食のその短い時間に支社長達と交わされた会話中は、秋斉さんが言っていた通り、頭の回転の速く隙のない言動で、いつも屋敷で見せている陽気な雰囲気は微塵もなかった。
「あっ、酷い事言うなぁ。僕の事、そんな風に思ってたんだ?」
少しだけ頬を赤くさせた慶喜さんも、わざといじけた顔をして笑った。
「いえ、すみません・・・ちょっとだけ」
「ふふん・・・僕の事、見直して惚れちゃったかい?」
自信ありげに口角を上げて、私をじりじりとエレベーターの壁際に追い詰める。
「えええぇっ!?・・・じょ、冗談はやめて下さい」
一瞬で顔を真っ赤にしてしまった私は、逃げ出す様に反対側の隅へ移動する。
「あはははは、君はすぐに赤くなるんだね」
慶喜さんは肩を揺らして楽しそうに声を上げた。
「生意気な事言って、すみません・・・でも、見直したのは事実です」
「うん、正直でよろしい。正直な子は嫌いじゃないよ?」
どうして慶喜さんはこう、いつも真っすぐな言葉で伝えてくれるんだろうか。
私が照れて困る様な事も、冗談混じりに言う言葉も、常に彼の発言には嘘や偽りがなかった。
そんな事を考えていたらふと、秋斉さんの顔が浮かんで、そのタイミングでエレベーターはちょうど宿泊階に停まった。
「じゃあ、今日もお疲れ様でした。おやすみ」
私の部屋の前で慶喜さんは手を振って、更に奥にある自分の部屋へと向かった。
部屋に入り、荷物を床に下ろす。
携帯を取り出して時刻を確認すると22時を少し回ったところだった。
秋斉さんは今頃、京都での展示会初日を終えて食事をしている頃だろうか・・・。
はぁっ、とため息をついてバスルームに向い、お風呂の湯を溜める。
部屋に戻り、昼間チェックインした際に置いて行ったバッグの中から化粧品やら着替えを出してベッドの上に広げ、大阪の梅田にあるこの高級ホテルから見える夜景に吸い寄せられるように窓際へ立つ。
ぼんやりと景色を眺めながら、昼間ホテルから支社に移動するタクシーの中で慶喜さんと交わした会話を思い出す。
「ねえ、大学を出たらうちの会社で働かないかい?」
「えっ?私が、ですか?」
「うん、だって進路まだ決めてないんでしょ?」
「それは、まあ・・・」
「実家のスーパーで働くって言ってたけど、跡を継ぐって事なのかい?」
「いえ、兄がいるので・・・そう言う事ではない、ですけど」
「だったらうちに就職しなよ、僕の秘書でもいいし、本社の受付でもいいし」
それも悪くないかも、なんて思いながら俯く。
とっても有難い話だ。
慶喜さんの会社に就職なんて、普通に面接を受けたって受かるかどうか。
「まあ、考えといてよ。君がその気になれば、いつでも歓迎するよ」
「はい、有難うございます」
唐突な提案だったけれど、断る明確な理由もなかった私は、慶喜さんの好意に甘えてしまおうかどうしようか、頭を悩ませていた。
まだ眼下の景色に目を向けたまま、昨日屋敷を出る時に秋斉さんにきちんとお別れが出来なかった事を思い返した。
明後日、出張が終わって東京に戻った時にはまだ秋斉さんは京都だし、その次の日は私が屋敷を去る期日だ。
もっときちんと挨拶、した方が良かったよね。
以前に慶喜さんと話した時に、いつでも遊びにおいでよと言ってくれたけど、約束の1カ月が終わってしまった私は何を口実にそこに行けばいいんだろうか。
慶喜さんの会社に就職したって、自宅に遊びに行く理由にはならない。
素直に秋斉さんに会いたいから、と言えたらどんなに楽だろうか。
もしそれが言えたとして、彼の迷惑になるんじゃないか。
どれだけ考えても堂々巡りになってしまい、私はまた大きな溜息を吐き出した。
その時、テーブルの上に置いた携帯が小さく振動した。
手に取ると、(秋斉さん)の表示。
「・・・っ」
慌てて画面をタップし、携帯を耳にあてる。
「も、もしもし」
『・・・もしもし?わて、やけど』
「はい、秋斉さん・・・こんばんは」
『今、どこに・・・いてはるの?』
「え?今は・・・大阪です。ホテルに戻って来たところです」
『ほうか・・・慶喜はんは、一緒?』
「いえ、さっき一緒にホテルに戻りましたが、ご自身のお部屋にいらっしゃるかと・・・」
『ん、わかった・・・ほな・・・・・・おやすみ』
「えっ・・・あ、はい・・・おやすみなさい・・・」
秋斉さんが通話を終了させるまで、名残惜しむように耳元に携帯を押し当てたまま待つ。
用件は何だったんだろう?
慶喜さんが携帯に出なかったから一緒にいるかと思ってかけてきたのかな?
そう考えながら、息を切らして話す秋斉さんの様子が気になって、私は携帯を耳にあてた状態のまま部屋の中を行ったり来たりうろうろする。
いつまでも通話が切れる気配はなく、やがて
『・・・あんさんは・・・今、なにしてはるの?』
秋斉さんが沈黙を破って私に呼びかける。
「えっと・・・部屋に戻ったので、寝る前にお風呂に入ろうかと」
浴槽にお湯を溜めていた最中だったのを思い出して、バスルームへ入る。
蛇口から勢いよくお湯を出していたから、もう浴槽の7割あたりまで湯は溜まっていた。
蛇口を捻って止め、部屋に戻ろうとした時
『そっか・・・なんだ、慶喜のやつ・・・』
いつもの柔らかい声のトーンと、安堵したかのような口調で言った “慶喜のやつ”という標準語の言葉にドキっとする。
「今の・・・どういう事、ですか?」
私が部屋に居ると言った後に、心配ごとが解決したみたいに吐きだした台詞・・・。
『・・・なんでも、あらしまへん』
秋斉さんの様子が変だ。
胸が高鳴り、指先が震えだす。
嘘、そんな訳・・・ないのに・・・。
私の勘違いでなければ、幻聴でなければ、すぐ近くから秋斉さんの声が聞こえた。
そっとバスルームから入り口のドアの方へ歩いて行って、携帯を当てた耳と反対側の耳をドアに押し当てる。
そして、小声で問いかけた。
「秋斉さん・・・」
『ん?』
「秋斉さんは、いま・・・どちらに?」
『わてか?・・・京都におるけど、なんで?』
やっぱり・・・!
間違いない。
彼は今このホテルの廊下に、このドアの向こう側に立っていた。
≪黙想8へ続く・・・≫