「10時か」
時計を見て土方がつぶやく。
「・・・枡屋さんの気のせいですよね、きっと・・・」
沖田はさっきから心配そうにしながら洗濯物を集めてかごに入れたり、意味もなく窓から外を眺めたりを繰り返していた。
「おはよー」
と軽快な声が聞こえると、ダイニングに慶喜がやって来た。
「あれ?みんなもう出かけちゃったのかい?」
にっこり笑って沖田の顔を見る。
「・・・」
沖田が助けを求めるように視線を移すと、土方は暖炉の部屋の方に移動して、2人が来るのを待って口を開いた。
「実はーー」
先ほどの郵便屋との会話と、俊太郎から聞いた話を慶喜に伝えた。
「嘘?そんな訳・・・ないよね?」
聞き終わると目を丸く見開いたまま、だって、あの「迷いの森」に入ったら自分達だって簡単には帰って来れないぐらいじゃないか、と抗議した。
「ま、枡屋さんの勘違いかもしれないですから」
落ちついて下さい、と息を荒げている慶喜を窘めるめるように沖田が制すると
「だといいがな・・・」
土方は深刻な面持ちでつぶやいて続けた。
「これ以上、ここで俺たちが論議しても始まらない。後の事は藍屋達が戻ってから考えればいいさ」
確かに土方の言う通りだが、もし俊太郎の思いすごしでなかったらそれはどういう事を意味するのか・・・それを思うと少女が不憫で居てもたってもいられなくなる。
「帰れなくなるだけじゃない・・・熊に襲われたり、崖があったり、とにかくあんな危ない森の中へなんで・・・」
慶喜も沖田と同じ気持ちだったのか、やりきれない表情を浮かべて独り言をぶつぶつ言いながら、部屋の中を落ち着きなく歩き回っていた。
するとそこへ、いつも最後に起きてくる高杉が現れた。
「おう、おはよう・・・雁首揃えてこんなとこに突っ立って、どうした?」
「あ、高杉さん・・・おはようございます」
沖田は律儀に挨拶をしてから
「実はーー」
また、今朝の一連の説明を始めた。
「ですから、藍屋さんと枡屋さんの戻りを待っているところなんですが・・・まだでしょうかね?」
窓の外と土方の顔を行ったり来たり、交互に見た。
「・・・あっ、戻って来たみたいです!」
窓の外の向こう側、こちらに向かって並んで歩く2人の姿を見つけて沖田が玄関に走ってドアを開ける。
表情が見えるぐらいまで2人が玄関に近付いた頃、沖田の口から
「え・・・まさか・・・そんな」
と悲観する台詞が漏れた。
「沖田はん、おおきに。ただいま・・・」
秋斉がドアを開けたまま固まっている沖田に小さく言って、2人は家に入った。
暖炉前に立ったままの3人を見つけて、そのままダイニングを横切って行く。
「で、どうだった?」
戻って来た2人が口を開く前に慶喜が尋ねると、秋斉は目を伏せて力なく首を振った。
「・・・そうか」
土方はソファに腰を下ろして深く背にもたれて目を閉じた。
「でも、また偶然出かけてたって事も・・・」
言いかけた沖田の肩にポンと手を乗せて、今見てきた全てを俊太郎が話し始めた。
少女宅を訪れると家には鍵がかかっており、しばらく玄関でドアを叩いたり呼びかけを繰り返したが誰も出てこなかった。
それどころか、家の裏に回ってカーテンが開いていた窓から中を覗いてみると、寝室のクロ―ゼットが開いたままになっていて、いくつか少女のものだと思われる洋服や帽子、ぬいぐるみなどが残されているだけで、中身はほとんど空になっていた。
また家の正面まで戻り、どうしたものかと2人で話していたところに近くに住んでいるらしい老人が通りかかったので尋ねてみると、昨日の昼過ぎに大きな荷物を持って母親が出て行く場面に遭遇したという事だった。
その時に、最近出入りしていた男も一緒だったと。
さらに、引っ越す事になったのでもう戻って来ない、と老人に言ったと聞いた。
俊太郎の説明が終わると、部屋に重苦しい沈黙が流れた。
「・・・嘘だろ・・・そんな」
屈託のない少女の笑顔が脳裏に浮かんで、高杉はがっくりと肩を落とした。
母親に捨てられる・・・口にも出したくないような事だが、この状況ではそう考えざるを得ないようだった。
「まずはお隣はんと話して来た方がええでっしゃろな」
藍屋の言うとおりだなと、土方が立ち上がった。
わても一緒に行きます、と土方の後について俊太郎も出て行った。
「この後の事は、おばあさんの判断に委ねるしかないね・・・」
少女が起きてきた時に何か美味しいものを食べさせてあげたいと、自分にできる励ましはそれぐらいだから、と慶喜は力なく笑ってキッチンへ向かった。
沖田も、倉庫に何か少女を喜ばせてあげられるようなものは無かったかと探しに行った。
秋斉は扇子で口元を覆って、窓辺に立ち昨夜少女と交わした会話を思い出していた。
その時半分冗談のつもりで、ここにずっといたらいいよと言った後にお母さんを1人にできないからとほほ笑んで言った少女の言葉を何度もリフレインさせて目をぎゅっと閉じた。
高杉は無言で立ち上がり、ふらりと階段の方へ行った。
重い足取りで3階の客室の前に来ると、黙って部屋のドアを開けた。
カチャッ
外の光がカーテン越しに部屋に射しこんでいた。
毛足の長い絨毯の上を音も立てずに歩いて、ベッドの横に立つ。
見下ろすと、少女はまだ小さな寝息をたてながらぐっすりと眠っていた。
寝像が悪いのか、掛けられた毛布はほとんど足元の方へ蹴り寄せられていて、足の付け根あたりまで捲れたネグリジェから少女の白く柔らかそうな両足が露わになっていた。
ふっと優しく目許を緩ませて、毛布を掛け直す。
こんな残酷な事実を知らないように、ずっと眠らせていてあげたいと思いながら。
そのまま絨毯の上に胡坐をかいて座り、ベッドのへりに腕を組んで顎を乗せる。
「・・・」
こちら側を向いて眠っている少女の寝顔を見つめて、昼間出逢った時の事、家に帰ってくるとその少女が居て驚いた事、昨夜の風呂場での事、自分の見た淫らな夢の事、その後に高杉の部屋のベッドに少女が居た時の事を順番に思いだしていた。
夢の中での事を生生しく思いだして、心臓の鼓動が少しだけ早くなっていくのを感じる。
少女に対して願望があった故にあんな夢を見てしまったのだろうかと自問自答して、最近女を抱いていなかったからな、もともと俺はこんなガキは好きじゃねえ、今までもっと大人の女といくつも経験を重ねてきたんだと、自分に都合の良い解釈で片づける。
唇の柔らかさ、陶器のような白くきめ細やかな肌、艶やかで瑞々しい髪、甘ったるく話す声、どれをとっても遊び相手の誰より少女の方が自分を強く惹きつけている事に気づかないフリをして、今夜どの女の家に行こうかと久しく会っていない遊び相手のうちの誰かの顔を無理やり思い出す。
「高杉はん・・・」
気づくとドアの隙間から秋斉が顔を出してこちらを覗いていた。
ずっとそうしてたんか?と聞かれて、もうかれこれ30分近くもこうして考え事をしていたんだと気付く。
少女を起こさない様に小さな声で、土方はんたち戻ってきましたえ、と高杉に手招きをする。
「わかった」
口の形だけで答えて、音を立てない様にその場を離れて部屋を出た。
≪赤ZUKIN13へ続く・・・≫