翌朝、いつもの朝と同じ様に沖田と翔太と龍馬の3人がほぼ同時刻にキッチンに集まっていた。
「あ、龍馬さんおはようございます」
寝ぐせ頭をくしゃくしゃと掻きながら階段を下りてきた龍馬を見つけて翔太が元気に声をかける。
「おお翔太、おはよう。ふあぁぁ」
まるで熊みたいに大きな口を開けてあくびをする。
「おはようございます」
沖田もダイニングのテーブルの方から龍馬を見て声をかける。
まだあくびをしたままの龍馬は右手でおはようと挨拶を交わす。
「コーヒー淹れますね」
慶喜がいない時は大抵、翔太か沖田が炊事担当となる。
今は翔太がキッチンのカウンター前に居たので、3人分のカップを出して準備をする。
龍馬は窓の外を見て、今日もええ天気じゃなと言ってキッチンカウンターのハイチェアーに座った。
「昨日は真夜中に起こしてしまってすみませんでした」
沖田が謝りながら空いているハイチェアーに腰かけた。
「全然平気ですよ、またすぐ寝れたし」
ダイニングとキッチンとの境界はカフェのカウンター席のような作りになっているので、キッチンの中に入った翔太もそのまま会話に参加する。
「あ、お隣のおばあさん起きてるみたいですね」
窓の向こう側にあるおばあさんの家を見ると、カーテンが開けられていた。
「ではあの子が起きてきたら私がお隣まで届けに行きましょう」
目を細めて沖田が笑うと、昨日の熊を解体して頭の部分を剥製工房に持って行くので自分と翔太は昼前には出かけると龍馬が言った。
「翔太、ええか?」
「はい、お供します」
龍馬は熊や鹿などの獣を仕留めて、町の剥製師や毛皮屋に卸すのを生業としていた。
翔太はその仕事の見習い的な事をやっていた。
サイフォンからお湯の沸騰する音がし始めた頃、とんとんとん と階段を下って来る2人分の足音がして秋斉と俊太郎がキッチンに顔を出した。
「おはようさん」
秋斉が気だるげな表情でその場の全員に軽く会釈してダイニングテーブルの指定席に座る。
「おはよう」
続いて俊太郎も秋斉の隣の自分の指定席に座った。
おはようございますと言いながら、翔太は2人のコーヒーカップを追加してキッチンに並べた。
「相変わらず、早いどすなあ」
手元を隠し、小さくあくびをして先に居た3人に感心したように秋斉が言うと
「あんまし寝すぎも身体に毒やけどなあ」
と天井を見上げて俊太郎が笑う。
いつも昼近くまで起きてこない慶喜・土方・高杉の事を暗にさしているのだろう。
翔太がはははと笑って、コーヒー豆をミルでガリガリと潰す。
「あの子は良く眠ってるやろか」
ふと秋斉が話題にした。
「どうでしょうね、もう少ししたら起こしに行きますか」
沖田がやんわり言いながら、湿った布で2人が座っているテーブルの上を綺麗に拭いてゆく。
ほどなくして、キッチンからコーヒーの良い香りがダイニングまで漂い始めた。
「・・・」
テーブルに肘をついて、なにやら俊太郎が考え事をするような顔でぼんやりとしていた。
龍馬が気にとめて話しかける。
「どうしゆう?」
「あ・・・」
何かを言いかけたような顔をしたが、すぐに何でもないよと取り繕う様にほほ笑む。
「・・・そうながや?」
言いたくなさげな雰囲気を感じ取って、龍馬もそれ以上は口にしなかった。
「はい、お待たせしました」
翔太がカウンター越しに目の前の龍馬と沖田にコーヒーカップを差し出し、続けて秋斉と俊太郎の分を両手で持って来てテーブルに置いた。
「おおきに」
秋斉はミルクピッチャーを取って、コーヒーカップにミルクを注ぎ、スプーンでかき混ぜる。
カチャカチャ、と金属が陶器に当たる音だけが鳴って、ゆったりとした空気がダイニングに流れた。
その優雅な朝のひと時をぶち壊すような足音を立てて、土方が階段から降りてきた。
「おはようございます、珍しく早いですね」
カップから口を離して沖田が声を掛ける。
「おう、おはよう」
序での一言をさらっと聞き流して、俊太郎の横の椅子に腰掛けた。
「翔太、俺にも」
そう言って翔太を見た時にはすでにキッチン内でコーヒーを注いでおり、素早く土方の目の前に届ける。
「悪いな」
と口元だけで笑って、淹れたての熱いコーヒーをずずずっと啜りながらすぐ横の俊太郎を見た。
「枡屋、元気ないじぇねえか」
チラッと龍馬がこちらを振り返った様に思ったが、気にせずに続ける。
「どうした?」
「ん?なんでもあらしまへん、まんだ少うし眠いだけどす」
誤魔化すようにコーヒーを飲む仕草をして、カップで口元を隠す。
「・・・ふーん・・・」
土方はまあいい、と呟いてまた一口ずずっと啜った。
その時、玄関のドアをノックする音が聞こえて、わてがと俊太郎が席を立った。
ガチャッ
「はい、あ、おはようさんどす」
「おはようございます」
訪問者は郵便屋だった。
「これは藍屋さんに、こっちは坂本さん、あとこれが一橋さん」
斜めがけしたバッグの中から封筒を取り出して、確認しながら俊太郎に手渡していく。
「あ、そう言えば」
「へえ」
「昨日ことづかった、おばあさんの伝言なんですが・・・」
ドアが半開きの玄関先から聞こえてきたその一言に、皆が聞き耳を立てた。
「お家まで行ったんですが・・・誰も居ないみたいでねえ」
「・・・え?」
俊太郎は眉をひそめて郵便屋の顔を見た。
郵便屋には昨日、土方と翔太がおばあさんの家に訪ねた際に少女のお母さんに事情を説明するようお願いしてあったのだ。
心配そうな顔をして土方も玄関に現れた。
「どういう事だ?」
きっと鋭い目線を郵便屋に投げかける。
「い、いえ、ですから誰も居なかったんですよ」
土方の気迫に圧倒されて、郵便屋はおどおどして肩をすくめた。
「土方はん」
背後を振り返り、土方を制して今度は俊太郎が尋ねる。
初めて行く家ではないし間違えたという事は絶対にないですと郵便屋は断言して、まあ出かけていたんですかねえと付け加え、では急ぎますのでと去って行った。
「・・・どうしたんですか?」
沖田が2人に駆け寄る。
翔太も龍馬も秋斉も、正確に話が聞き取れなかったのか、説明を求める表情で2人に視線を集める。
「あの子の家に行ったら、誰も居なかったので昨夜の伝言が伝わってないそうだ。出かけてたんじゃないかって郵便屋は言ってたけどな」
土方は言いながらまた椅子に腰かけた。
「そうですか・・・ではお母さん心配されてるかもしれませんね」
切ない顔をして、沖田がまた元の位置に戻ると
「じゃ、早く起こしてあげた方がいいね」
と翔太が階段を上がろうとした。
「ちょっと」
急に俊太郎が大き目の声を発した。
階段に足をかけていた翔太も、その場にいた他の男たちも驚いた顔で俊太郎を見た。
「どないしはったん?」
秋斉が怪訝そうに目を細めた。
「ん・・・実は・・・」
それから俊太郎が話す事を全員が黙って聞いていた。
昨日教会少女にで会った時に道に迷ったのだと話を聞いて、不思議に思っていた事があると言って、少女の家からここまでは、決して近くは無いが複雑な道を通らずとも簡単に来れるのだと説明した。
ましてやお母さんが少女に教えた道筋を聞く限りでは、大きく広がっている「迷いの森」に足を踏み入れて戻れなくなってしまう可能性がある道順だと・・・。
「昨夜は気のせいかと思て、言わへんかったんどすが・・・なんや気にかかってしもて・・・」
「それでおまえ、さっきから様子が変だったのか」
「・・・へえ」
「今の郵便屋の話を聞いて、やっぱりおかしいと思ったんですね?」
沖田に先を促され、黙って頷いた。
「どーいたもんじゃのう・・・」
龍馬は腕組みをしてうーんと唸り声を上げる。
「わての気のせいかもしれへんけど」
気のせいだと思いたいが、俊太郎の中でどうしても何かが引っかかっていた。
上手く説明できないけれど、なんとなく嫌な予感がする。
「じゃあ・・・どうします?」
翔太は完全に階段から離れて、テーブルの側に立っていた。
「今のうちに、わてらで見に行きまひょ。お母さんが居はったら、事情を説明してからあの子を連れに戻ればええし」
秋斉が俊太郎の目を見て、な、とほほ笑む。
結局、俊太郎と秋斉が少女の家の様子を見に行く事に決まり、すぐに支度をして家を出た。
その後龍馬も翔太も裏庭で熊を解体して町に向かった。
郵便屋が来た1時間後には沖田と土方だけが残る形になった。
≪赤ZUKIN12へ続く・・・≫