責任の在りか
3年前の震災で、犠牲になった小学生達が話題になっています。
そこで、前から懸念している、おかしくないかと思う事を書こうと思います。
まず
今のご時勢、被害者が強すぎるという事。
責任の在り所は重要です。
しかし、バス事故等にしても、ビルの倒壊事故等にしても、そこに居合わせたのは、当人の責任です。
その事だけは忘れてはいけません。
私のお客さんには、現・元教師の方もおられます。
その方達の話を伺ってると、どこまで先生が何事にも関わらねばならないのかと思います。
話題になっている震災時の教師達の対応ですが、この時、教師達も非常時なのです。
学校の場で、授業を受け持つのは、教師の絶対的な責任とは思います。
未曾有の事態になって、多数の命を預かる状態は、警察官、自衛隊員でも、いきなりにはなかなかならないでしょう。
第一、警察官、自衛隊員、消防隊員でもないかぎり、命を預かる責任があるのかとも思います。
人命救助は、まず己から。
自分があやふやなのに、人の命に関わってはいけないとも思います。
まず、自分の身の安全をどうするかが、最優先なはずです。
余裕の有る者が、初めて手をだしてよい領域なのだと思います。
では、子供達はどうすれば良かったのか。
すごく酷な事を言わせて貰いますが、自分の判断で動くべきだったのです。
非常事態に大人も子供も無く、誰かの指示を仰ぐ決定をしたのは、自分なのですから。
自分勝手に動いていいとは言っていません。
自分の判断で動き、己の命と周囲に対して責任を取れと言っているのです。
この辺り、法的にも措置を考えないと、今後も同様な事態は、何回でも起こるでしょう。
多くの自分で決定し動こうとしない動機は、失敗を恐れるからです。
そのくせ、人に押し付けた責任の、自分の責任には寛容すぎるのです。
人の評価なぞ、いいかげんなもので、結果がすべてです。
例えば、
いま話題の被災した子供達が、教師達の指示を無視して、山に登り助かったとします。
結果オーライの様に見えますが、教師達は判断の間違いを指摘され、嘲笑されることにもなりかねません。
山に登って亡くなってしまった、それでも、責任は教師達が取らされるでしょう。
どうして、指示を徹底させられなかったと。
安全な位置から終わった結果だけで判断している人達の意見がまかり通りすぎ、マスコミが増幅して伝えている。
残念ながら、このいいかげんな連中を黙らせる術はありません。
勝てば官軍、この心意気で動くしかないのです。
今、そこに居るのは自分の決定の連続の結果であること、これを忘れず、責任を転嫁する恥をしないよう気をつけたいもです。
その賞の意味は?
科学が進み、システムが複雑化、仕事の多様化等によって、サービス業が増えました。
私もサービス業の一人となりました。
それでも、世の中に本当に必要なのは、生産業だと思っています。
最近、活躍したスポーツ選手が国民栄誉賞を貰っています。
エンターテイメント的なスポーツにあまり関心の無い私には、政治家のパフォーマンスにしか見えません。
そして思うのですが、世の中は、英雄的なスポーツ選手を量産したいのでしょうか?
誰も彼もが、スポーツ選手になろうとしたら、誰が生産をしてくれるのでしょうか?
辛辣に言わせてもらえば、どんな高潔な精神をもっていようと、メディアによって稼ぎを得れば、娯楽のサービス業でしょう。
何事も基礎が大事です。
表面にでるものは、土台の良し悪しに掛かっています。
サービスは表面、土台は生産です。
スポーツをやってられるのは、生産物流が安定しているからです。
人々の貢献の上に立つ人物達だけに、特別な賞が送られるのはおかしくはないでしょうか。
個人の努力もあったでしょうが、分野の違い、結果の良し悪しがあっただけで、他の人々も同じことです。
送るのならば、もっと草の根分けて探した上で、与えて欲しいものです。
スポーツは楽しむもの
今回のスポーツ連盟の、暴力、セクハラ関連の原因に、「強化練習」、「補助金」等が上げられると思います。
私は、弓道連盟にしか加盟したことはありませんが、だいたいどこも似た様なものでしょう。
ちなみに、県弓道連盟の国体強化練習は、大概の一般の方々には、到底付き合えるスケジュールとは思えませんでした。
「国体」とは、国民の体育際だと思っていましたが、実は多種スポーツ連盟による予算争奪戦なのでしょう。
オリンピックも似たようなものでしょう。
「スポーツは代理戦争」という考えもあります。
連盟にとって選手は兵隊であり、選ばれたい選手は強化練習に志願した格好となり拒否権がなくなります。
選手に選ばれるためには、強化練習に参加しなくてはならない、ここの辺りが悪の温床だと思います。
選手の選抜権が連盟に有り過ぎるのです。
純粋な選抜戦であれば、今回の問題、潰れる選手は少なかったのではと思います。
簡単に言えば、連盟、指導者のお気に入りが選手に選ばれるのです。
選手はいう事を聴いていなければ、嫌われてしまいます。
強化練習という缶詰の中、嫌われればどんな事体になるか、想像は容易です。
他の選手より強い事、これが第一ですが、その選手は自分の環境で強く、上手くなったはずです。
自分のスタイルに合わない指導方法に戸惑う選手、それに苛立つ監督、コーチが体罰という形になり、無理をした選手は心身ともに潰れていく。
さらに選手同士の実力が拮抗してる場合、これが最悪を招くでしょう。
環境優遇や選抜権をちらつかせて、セクハラにはしる指導者です。
スポーツ連盟とは、好きなもの同士が協力しあうために生まれたものだと思います。
優越を競うためにあるのでは無い事を、思い出して欲しいですね。
