** キリエのうた ** | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

 もう、終わりだね

 君が小さく見える

 僕は思わず君を抱きしめたくなる

 

 

 「賢者がマニュアルを残さないのは、どうしてですか?」

青白く輝く月を見たか? / 森博嗣

 

 

そんな文章にふと、以前拝聴した管長さんの提唱を思い出す

 

 

 霜云 生也不道 死也不道

 源云 爲什麽不道

 霜云 不道不道

 碧巌録 第五十五則 道吾漸源弔孝

 

 霜云く「生ともいわじ、また死ともいわじ」

 源云く「なにゆえにかいわざる?」

 霜云く「いわじ、いわじ」

 

 

賢者はマニュアルを 残さない のではない、残せない のである、、

 

... 

 

 

こころの 在り様 だよなぁ、、

 

 

「私は泣かないから、

 このままひとりにして」

 君のほほを涙が流れては落ちる

 

 

日本は観光地として人気らしい

日本人は礼儀正しいとか優しいとかという話も聞くしそんな動画も上がっているけど、

比較すればそうなのかもしれないけれど、、

 

自殺者の数も少なくないのは何故?

 

 

「僕らは自由だね」いつかそう話したね

 まるで今日のことなんて思いもしないで

 

 

キリエのうた

 

 

 

 

木に上ること、

歌を歌うこと、

壊れたままのつながるはずのない携帯電話に話しかけること、、

 

 

そして

 

キリエ

 

であること

 

 

でも掛けることで、つながっているんだよね... 



たとえ、つながらなくても

 

 

それぞれのこころに空いた穴がキリエの歌で、その存在で、うまってゆく、またうまることで自らも、、

 

誰の人生に、どの場面に、より共感を覚えるか という映画でも

 

 

D.フィンチャーの「セブン」という映画では、描かれる7つの大罪のうち、そのどの罪に こころ を動かされるかで、その人の道徳観/倫理観がわかるという仕掛けにもなっていて面白いな と思ったっけ

 

 

本当に困っている人は助けられない、行政のシステムは往々にして、ただそのマニュアルに従い、規則だからと機械的に対応するだけのものになっているのもまた否めない事実

そもそも誰のための、何のための、何を目指しての、マニュアルなのかをまず理解しなければ始まらないはずなのに

 

上から目線のマニュアルばっか?

 

一部の人間にばかり何故か使い勝手が良く出来ているんだよなぁ って思わなくもないし

 

 

だから、

 

確信犯的に許可を取らないことには意味があるし、それはささやかな反抗ではあるけれども 矜持 でもあり、溜飲の下がる所以だろう

 

 

憐れみの讃歌 / Kyrie (アイナ・ジ・エンド

 

 

岩井俊二監督の映画を観るのは今作が初めて、音楽映画の側面もあるからか3時間という長さをまったく感じなかったなぁ

 

他の監督作も観たくなったよ

 

 

 さよなら さよなら さよなら

 もうすぐ外は白い冬

 

 愛したのはたしかに君だけ

 そのままの君だけ

 

 さよなら / オフコース 

 

 

名前のない街 / Kyrie (アイナ・ジ・エンド