不忍池弁天堂 (巳の日) | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

巳の日の弁天様巡り

 

 

 文明の波は自(おのずから動いて頼(たより)のない親と子を弁天の堂近く押し出して来る。長い橋が切れて、渡る人の足が土へ着くや否や波は急に左右に散って、黒い頭が勝手な方へ崩れ出す。二人は漸く胸が広くなった様な心持になる。

虞美人草 / 夏目漱石 

 

 

とある、ここに書かれた「弁天の堂」とは不忍池の弁天堂のことで、かつては観音堂から見て弁天島と対岸とを結ぶ橋(通天橋)があったようだ ((((д ;)))) 

 

 

不忍池弁天堂

 

 

 

 

 

その不忍池は天台僧天海が琵琶湖に見立てたもので、その中にある弁天堂はもちろん竹生島の見立て

 

 

御朱印

中央の押印が変わったのと、巳の日にはその押印が追加されるんだね、この日は二の巳の印を

 

 

 

東叡山寛永寺不忍池弁天堂

天台宗

東京都台東区

 

 

 

 

「ふぐ供養碑」岸信介

 

 

 

弁天堂の前には琴三講の碑がある、碑文の書は山岡鉄舟居士によるもの

 

臨済宗と縁の深い鉄舟居士が何故に天台宗の弁天堂の前にその書となる碑が立つのか? と不思議に思い調べてみると、、

 

おそらくは 鉄舟居士の夫人が琴? (だったか琵琶を習っておられた とあり、そういうつながりだったんだー  スッキリ (_´) キリッ

 

 

山岡鉄舟書