クレィドゥ・ザ・スカイ / 森博嗣 | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

 「一人でも、生きていける?」

 「きっと」

 

 

クレィドゥ・ザ・スカイ / 森博嗣 

 

 

 

 

  彼女は毛布の中に白い躰を包んで、僕をじっと見た。

 明日の分の涙が、頬を斜めに伝わっていた。

 

 

キルドレ? 

 

今にして読めば、その後の W, WWシリーズ につながるような設定も垣間見られ、ストーリィもそのプロトタイプのような印象も?

 

 

  しばらくエンジンを回して暖めた。僕は黙っていた。

 彼女も黙っていた。二人とも、

 これからの時間について考えていたのかもしれない。

 でも、それは今日か、せいぜい明日までのことだ。

 将来のことではない。いくらワイパを動かしても、

 そんな将来までは見えないものだ。

 

 

見えないのか、

見ないのか、

そもそも、

見ようともしないのか、、

 

否否、

そもそも、

 

 

見えなくてもいい

 

 

... 

 

 

ただ 飛ぶ ということにだけ固執するその姿は、鳥もいつかは地上で羽を休ませなければならないという現実のまえに一瞬の躊躇、迷いを内在させる

 

永遠を生きる キルドレ にとって、生きる とは?

 

何かそこには、純粋な悲しさ のようなものを感じるんだなぁ... 

 

 

 「わからない。僕も、自分でどうしてなのか不思議だ。

 そんなさきのこと考えるなんて、どうかしていると思う」

 

 

わからなくてもいい

 

あるいはまた、

 

管長さんの言葉を借りるなら、



「ある」と 信じて生きてゆく ことは出来る



あの時の法話はちょうど東日本大震災から三年、大祥忌を迎えようとしてた時だった

姜尚中さんと対談されたのはその震災の後だった と話をはじめられた

 

「人は死んだらどうなりますか、 死んだ息子に会うことは出来ますか」

 

それを管長さんに尋きたいという、姜尚中さんは自死で息子さんを亡くされている

そう問われた管長さんは、「それは判りません」と即答されたそうだ

 

「私には明日の天気がどうなるかも判りません、障子の向こう側が今どうなっているかさえも判りません」

 

怪訝な顔をされる姜さんに、管長さんは続けて、

 

「明日地震が起きるから海岸から少しでも離れましょう と言った人がいましたか。誰もいなかったでしょう。判らないことを、さも判ったかのように云うことは私には出来ません。しかし、

 

 

信じることは出来ます。

 

 

いつか会える、いつか会える とそう信じていれば、頑張れるじゃないですか。明日どうなるか、それは誰にも判りません。しかし、

いつか会える、そう思えば、今日一日を安らかな気持ちで終わらせることが出来るじゃありませんか。

 

いつか会える、そう信じましょうよ... 

 

 

以来僕も亡くした妹にはきっと会える と信じているからね

 

 

見えなくてもいい、


「ある」と信じてさえいればいい、、

 

 

  「人間は、先程の書きかけの書物と同じです。

 未完なのですよ、高遠様。未完で良いのです。

 本は書き終われば、或いは読み終われば完です。

 しかし、生きていると云うことは、ずっと未完と云うこと」  

 ならば明日のことなど判りますまいと弔堂は云った。

 書楼弔堂 破暁 / 京極夏彦 

 

 

生きる とは、

生きてゆく ということは、

 

そういう... 

 

 



つづく