病院坂の首縊りの家 / 横溝正史 再読 | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

 思えば敏男との愛は怒濤のような、激しく荒々しいものでした。
 それに反して滋との愛は緩やかなテンポながら、しっかり大地に
 根をおろしていくような、安心して倚りかかっていられる愛情
 でした。

 

 

いやー、まさか最後に涙が流れるとは、、

 

初読の折りは探偵小説の側面からしか読んでいなかったから、その物語のベースとなる部分にはまったく気を払っていなかったんだろうなぁ、、

 

また

 

 

  私がこれからお話しようとしている問題の坂は魚藍坂の

 ちかくにあり、この坂にも江戸時代から呼びならわされた、

 由緒正しき名前があるのだけれど、坂の途中に大きな病院が

 あるところから、いつのほどよりか病院坂と呼ばれるように

 なっていたので、私もこのまがまがしい物語のなかでは

 その名を踏襲することにする。その病院こそはこの物語の

 なかで、大きなウエイトを占めているのだから。

 

 

え? 魚藍坂の近くだったの?? 新撰江戸三十三観音霊場巡りの経験もあるから、何十年ぶりかのこの再読はその土地勘込みでとても興味深く

 

そもそも

 

A.クリスティの最晩年のポアロもの「象は忘れない」(扱うは回想の殺人の類いを読んでいてその創作意欲に興味がわき、それではと横溝氏の最晩年のなかでも この一作を と手に

 

しかも

 

 

  芝高輪の泉岳寺のそばにある本條写真館などは、その数少ない

 写真館のひとつである。いや、私がここでかず少ない写真館

 といったのは、東京都全体をつうじてという意味であって、

 高輪付近には泉岳寺をあてこんだせいか、ほかにもう二軒

 写真館がある。

 

 

そう、事件の舞台となる病院坂は泉岳寺さんの近くでもあるということ 

 

そんな本作を十二月を前にして再読完

 

 年の瀬や 水の流れと 人の身は 

 明日待たるる その宝舟 

 

今年もまた  が暮れゆくか... 

 

 

  さて、それは昭和二十八年八月二十八日の夕方

 四時ごろのことである。

 

病院坂の首縊りの家 / 横溝正史 再読

 

image

 

 

幾重にも重なる親子の姿、夫婦のあり様、その愛憎、、😭

 

これってやっぱりE.クイーンのライツヴィルものの横溝正史なりの取り込みだったのかなぁ... 

 

 

 「お父さん、われわれの将来がどうなろうとも、

 わたしは生涯あなたを父と信じて終わるでしょう。

 幼時からこの年まであなたに愛していただいたことを、

 どうして忘れることができるでしょう。

 ぼくにとってあなたよりほかに父はいないのです」

 

 

追記

 

 

 「これはこれは成城の先生、あなたはどうしてこの家が

 おわかりになったのですか。ここが病院坂の首縊りの家だ

 ということが・・・・・・」

 

 

百鬼夜行 (京極堂シリーズの「」にその成城は砧のY氏こと横溝正史氏が出てきたときは少々唐突に過ぎた感じがしたけれど、でもひょっとしてそのアイデアは本作の次の一文からのインスピレーションが元ネタだったりして?

 

 

  それだけに酸鼻をきわめたこの生首風鈴事件の、世間の

 あたえた衝撃は大きかった。いったいバラバラ事件だの

 首無し死体事件が、世間に大きなショックを与えるのは、

 そこに健全な人間の神経を逆撫でするような要素があるから

 であろう。

 

 

バラバラ事件を「」、首無し死体事件を「」と見立てても、あるいは、それらを昭和二十八年の前に起こった事件として時系列上においたとしても、特に違和感はないんだよなぁ