金章山吉祥院 (幕末明治期所縁) [鳥取県] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

卯の花の 匂う垣根に
時鳥 (ほととぎす早も来鳴きて
忍音 (しのびねもらす 夏は来ぬ
 
作詞者 佐佐木信綱 
作曲者 小山作之助
 
 
いやー、実に暑い日だった、もう夏だね🥵

 

 

閑話休題

 

 

彦根藩第十五代藩主井伊直弼公の禅の師であった仙英が住職を務めた寺院を幕末明治期所縁の仏閣巡りとして参拝

 

 

金章山吉祥院

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仙英禅師は吉祥院で住職を務めた後、鳥取市の景福寺、そして、彦根藩主井伊家菩提寺清涼寺の住持に

井伊直弼公は仙英禅師に篤く帰依されたようだ

 

いずれの日にか清涼寺さんへ、

 

釣月

悟りの境地か、よい言葉だなぁ

 

 

御朱印

中央の押印は  かな、こういう印はかなり珍しいね、吉祥 にかけてあるのかな (ー人ー)

 

 

 

以前は御朱印対応はなかったんだよね

 

 

金章山吉祥院

曹洞宗

鳥取県倉吉市

 

 

 

境内には井伊家寄進の仙英禅師を讃える歌碑も

 

歌碑末に「井伊文子」とある、歌人・随筆家、14歳で歌人 佐佐木信綱 (三重県鈴鹿市に師事

また、琉球最後の国王尚泰の曾孫に当たる方でも

 

 

その文子さんは、直弼公の曾孫に当たる井伊直愛 (なおよし氏と御結婚、直愛氏は後に昭和28年から9期に渡り彦根市長を務められた

 

歌碑裏面には次のように刻まれている

 

 

 

滋賀と鳥取、滋賀と沖縄にはこのようなつながりもあるんだねぇ