鎌倉と鳥取とはこういうつながりもあったんだねぇ...
東光山英勝寺
池田慶徳公 (徳川慶喜公の異母兄) の後を継いだのは、その嫡子である池田輝知侯爵だが、鳥取藩池田家宗家八代池田治道公の娘幸を母に持つ鍋島直正の娘幸子と結婚するも子に恵まれなかった
そのため、養嗣子として異父弟徳川慶喜公五男輝博 (後に鳥取藩初代池田光仲公の一字をいただいて仲博と名乗る) 氏が池田家宗家十四代を継ぐことになる
さらに歴史が面白いのは、その池田仲博氏が学習院時代に慶喜公のお孫さん (ということは仲博氏の甥?) と松平容保公のお孫さんとの仲をとりもったという話
当時原宿にあった池田家の屋敷 (現在の東郷神社の辺り) がお見合いの場だったらしい
孫の時代になると、もう過去の確執などは無かったとも
鳥取市にある元帥海軍大将東郷平八郎命名の「仁風閣」は、皇太子嘉仁親王 (のちの大正天皇) の山陰行啓時の宿泊施設として、その池田仲博氏が建てたもの
高校時代だったか?ひろみが主演した映画「舞姫」でも撮影が行われ、また、最近では映画「るろうに剣心」のロケ地 (武田観柳邸) にも
ちなみに、
池田治道公は、島津斉彬、鍋島直正の外祖父になる
また、幸の姉には島津斉彬の母になる弥姫もいたりする
つまり、
幕末の鳥取藩がときの藩主のもとでひとつにまとまりきらなかったのは正にこの一点に尽きるのではないか?元々が薩摩寄りの地盤だったのかもしれないね
でもなぁ...
その後の山陰の経済的冷遇をみれば、結局は薩長にいいように利用された感は否めないけれど、、 ┐(´o`)┌
さてさて、
この連休には、その鳥取に帰りますかね、、
御朱印
南無阿弥陀佛シリーズ
今ではちょっとした御縁を感じて、十五日の阿弥陀様の御縁日には浄土宗寺院にお参りした際に「南無阿弥陀佛」と書いていただけないかよくお願いしている
この当時はまだそうではなかったみたいだけど
東光山英勝寺
浄土宗
神奈川県鎌倉市
追記
開基英勝院はお勝の方で (家康公側室かな? 元の名は お八 ) 、水戸家初代徳川頼房公の養母になり、家康公の連戦勝軍を祝って縁起のよい「お勝」を賜ったとある
また、
祀堂は水戸光圀公建立で、光圀公自身も訪れたことがあるとか
山門の額「英勝寺」は後水尾天皇の宸筆 (なぞった文字) のよう
その後水尾天皇は第百八代で (在位1611~1629) 、後陽成天皇の第三皇子で、二代将軍秀忠公の娘和子がお輿入れ
とはいえ、、
幕府と朝廷は決して仲がよかったとはいえないようで、ここらへんが歴史の面白さだよなぁ