土漠の花 / 月村了衛 | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

  どこで見たものだったろう。あれは、そうだ、
 オアシスの村で子供達と戯れていたときのものだ。
 それまで見たこともなかった素晴らしい笑顔だった。
 アフリカの大気のようにどこまでも果てしなく澄んでいた。

 

 

本作などは、もし、真に映画化出来たとしたら面白いだろうなぁ、、

 

完全? に if の世界だとは言いきれない リアリティ を読んでいるときに感じたのは、実際にその当時国会では自衛隊の海外派兵 (救助活動) の是非が議論されていたから

どんなに 救助だ とこちらが主張したところで、戦闘区域に入ってしまえば、相手に通じる話ではない

ときの首相の意味不な発言に、なんなんだかなぁ... と 唖然とさせられるのは何も今にはじまったことではなかったんだ と思い出した


読了したのはずいぶんと前かな、一気読みする小説は敢えて敬遠するのが常なれど、月村さんだしなぁ と、一気読みしたっけ

 

 

 幻影であると分かっている。いや、幻影ではない。願望だ。

 それもまず叶うことのない儚い想い。

 土漠の花 / 月村了衛

 

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 かつて日本人は、「かなし」を、「悲し」とだけでなく、

 「愛し」あるいは「美し」とすら書いて「かなし」と読んだ。

 

 

とは、「若松英輔 / 悲しみの秘義」にある、柳宗悦さんの言葉からの引用

 

この ”儚い想い” も、悲しいけれど、いや、悲しいからこそ か、とても 強く、そして、美しい