** ジョゼと虎と魚たち** | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

 僕には旅に出る理由なんて何ひとつない
 
 
僕には旅に出る理由が百個くらいある って出だしが、最後には、理由なんて何ひとつない ってなるところとか 好きだなぁ、、
 
 
そう

 

 

恒夫がジョゼを好きになる "理由" なんてないんだよなぁ、「好き」に理由なんてない、理由なんていらない、それなのに "理由" を探しはじめてしまう、、

 

 

 「あの雲持って帰りたいわ」

 

 

雲、それはジョゼの未来の象徴、いつもは見れない自由の象徴

 

 

映画冒頭の恒夫と、映画ラストの恒夫の時間軸はどういう設定なんだろ?

 

冒頭の恒夫は、映画ラストの恒夫より数年後のようだし??

 

 

否、やはり時系列か、、(*1)

 

 

 「ジョゼはこの本を読んでました、

 ましたってことないか。

 これって何年前だっけ」

 

 

そう考えながら冒頭を観返すと、恒夫の声の後ろにジョゼのサガンを読む声 (?) が微かに聞こえる

 

映画のラストは確かにリアルだが、一方で、一度は別れを経験するというのもまた、リアルな話ではある

 

 

とまぁ 深読みも出来る作品 ということかな、、

 

 

虎、それはジョゼの確かに生きたという象徴

魚たち、それはジョゼと恒夫、広義には真剣に生きる二人の象徴

 

 

ジョゼと虎と魚たち

 

 

 

最初と最後のセリフが回想をはさんで続いているのなら (数年後ではないなら) 、まぁ それはそういう現実なんだろうねぇ... 

 

 

一歩を踏み出す、踏み出せない の違いってなんだろ?

 

 

 僕には旅に出る理由なんて何ひとつない

 

 

ハイウェイ / くるり

 

 

 

生きてゆくこと自体がすでに「旅」なのだから、色々理由付けはしてみたけれど、ようやく、そういうことなんだと 自分を認める んだなぁ... 中々意味深な歌詞だね

ここらへんは鴨長明の方丈記っぽいというか、下敷きにしてるのかも?

あと、曲のリズムの元ネタはポリスの「見つめていたい」(゚-゚)??

 

 

 *1:

ラストの恒夫の行動はリアルだけど、ずいぶんと自分の心に無理を強いたリアルだったような気がするのは、観てる側の (僕の?) 心情としてジョゼに肩入れしてるからなんだろうか?

恒夫は、恋が愛に変わる直前で逃げたのか、あるいは、ジョゼは自分より強い人だと思ってしまったが故に というか、、

 

 

だから

 

 

 僕には旅に出る理由なんて何ひとつない

 

 

ただお互いがお互いを好きだという純粋な気持ちも、恒夫の色々な理由を付けて逃げようとする気持ちも、ジョゼの 自分に強がってみせるところも含めてのというか、、でも恋ってそういうものだよね

 

もう一歩だけ 踏み出すことが出来たのなら、

 

お互いに こころの底 ではわかりあっているはずなのに、、

 

 

と、

 

 

妄想は尽きることもなく、、ハイウェイ を彷徨う、... 

 

 

出来ればリヴァイヴァル上映しないかなぁ、、、

 

 

 

 

 

 

 

intermezzo (まとめ:音楽、映画)