(伊勢) 神宮別宮 倭姫宮 [三重県] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

こちらが内宮外宮と五つの別宮の中でも、というか、お社一般の中でも?珍しいのは、いずれの鳥居を通って正宮にお参りするにしても 下り参道 となるところだ


倭姫宮
皇大神宮 (内宮) 別宮


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下り参道 といえば 出雲大社 や 東京谷保の天満宮 がそうだけど、神棚も同じことで一段高いところにお祀りするのが普通だね

何か特別な意味でもあるのかな? と伺ってみたけれど、特に意味はないとのこと、そういう地形だたということらしいが、、、?

でもなぁ、じゃあなぜそういう地形を選んだのか? たまたまそうだったというのはちと信じ難くはないか??


でもまさにこれなども、わからない なんだろうなぁ... 
 

 

すぐ近くには 「倭姫命御陵」 も

 

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御朱印



倭姫宮
やまとひめのみや
皇大神宮 (内宮) 別宮

御祭神は倭姫命やまとひめのみこと
三重県伊勢市

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倭姫命御陵」 の石標だけど、、この書体はひょっとして??

武蔵野陵の昭和天皇陵墓前に立つ石標の文字によく似ているんだよなぁ、、うん、すごくよく似ている

もし同じだとすると、、あの方の書なのだけど?? うーむ、もう一度自分の目で確かめたくなった✨ しかししかしよく似ている
昭和天皇武蔵野陵」 の 前に立つ石標を目にしたことのある方のご意見をうかがいたいところだ


覚書

すぐ近くに東福寺派のお寺がある、境内に板碑が立っておりどなたが書かれたのかなといつものように眺めていると、、

ん? え?? どうしてここ伊勢に???


撰文として 重野安繹 (しげのやすつぐ) 氏の名前が、、おっと、青山霊園内大久保利通卿の神道碑の撰文も確かこの方だったかな、日本最初の文学博士で薩摩出身、西郷南洲翁や大久保卿とも親交のあった方だねぇ、、ほ〜、ここ伊勢市にこのような碑が立っていようとは、、、

また、篆額は 祭主朝彦親王 とあった、調べてみると、久邇宮朝彦親王のことで、今上天皇の高祖父にあたる方のよう

そして書は 三室戸和光 とあり神宮大宮司とあった、その三男晴善氏は土御門家の養子となったようで、ほ〜、こちらは、安倍晴明 につながるのかーと

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ふ~ どうしてここ伊勢に???は、おいおい調べるとして、

いやー ほんとびっくりしたなぁ散策冥利に尽きる!!


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