** 死ぬ時節には死ぬがよく候 ** | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

 花無心招蝶
 蝶無心尋花
 花開時蝶来 
 蝶来時花開 
 吾亦不知人
 人亦不知吾
 不知従帝則



生き物という言葉も不思議だ

人は日々死につつあるというのに


平成三十一年はもうすでに暮れた、令和元年も今や暮れつつある、いや、五月のその初めからそれは実に暮れつつあった、

人もまた同じ

今や八十年をかけ死ぬと云う 生 をもつ生き物となった、それは正に見上げる太陽の如くであり、かつまた、上り始めた時にはすでに、いや、常に、沈みつつあるのである


尾張三十三観音霊場巡り結願、比叡山登拝、四国八十八ケ所霊場三十三番札所参拝、金沢鈴木大拙館来訪、、

2019年に出来なかったこと、


来年にこそ... 


しかし、それはそれとして、


そこで終わりとする、
二の矢を受けず、、 

あるがままを受け止める、
あるがままに受け止める


ありがたいことに同じことなんだなぁ... いつも説いてくださっていることは 


そこで終わりとし、 
明かりを消す

 When the music's over, 
 turn out the lights. 



禅僧の良寛和尚に有名な言葉がある、次の言葉などもまた、中でも有名なもののひとつだろう

 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
 死ぬ時節には死ぬがよく候
 これはこれ災難をのがるる妙法にて候



でも、、

じゃあ どういう意味なんだ?といえばこれが、中々うまくは納得出来るものではなかった

そのときまでは、、


そもそもこの言葉、

良寛さんが、災害にあった友人に送ったものだというから、余計にわからなくなっていたんだなぁ... 


よく見聞きにするのは、

成り切ることだという解釈だけど、それは 知識 としては分かるが、でもねぇ... そんなものは ただの知識 だから、、


甲斐国恵林寺の山門にこんな聯がかかげてあるそうだ

 安禅不必須山水
 滅却心頭火自涼


 安禅は必ずしも山水を須いず
 心頭を滅却すれば火自ら涼し


出展は、禅の語録を百則集めた碧巌録 第四十三則 洞山無寒暑 評唱より

 あんぜんはかならずしもさんすいをもちいず
 しんとうをめっきゃくすればひおのずからすずし


この 自ずから というのは、厳しいなぁ... 

それはそれ、良寛さんの云う、

災難に逢うがよく候 であり、死ぬがよく候 に通ずるものがある... 

と云えば、飛躍しすぎか


親に先立ち亡くなった子は、その不孝を嘆く両親のためにと、賽の河原で小石を積み上げ供養塔を作ろうとする

が、しかし、、


積み上げては崩され、また積み上げては壊され、、


何故、鬼は?

いや、そもそも 鬼 とは何だ?


 災難に逢うがよく候、

なんの落ち度もないというのに、、


 死ぬがよく候、、

この世に生きるということは、生きて行くということは、、


そういうものだと受けとめていかなければならない時がある、そうでなければ、、その子とて 成仏出来ぬ

親とて同じ、そのことに囚われてばかりのこころでは、子とて安心してはあの世へ渡ってゆけぬ


そいうことではないのか、、

鬼の目に涙が見える... 



 花、無心にして蝶を招き
 蝶、無心にして花を尋ぬ
 花、開くとき蝶来たり
 蝶、来たるとき花開く
 吾もまた人を知らず
 人もまた吾を知らず
 知らずして帝則に従う

 花無心 / 良寛



** エピローグ **

確か、、

毘沙門天巡りをしていた折りに目にしたんだったか、以来、その詩の一節が こころ に残り、鎌倉三十三観音巡りの際の表書きとした、

はじめて目にしたときは、

良寛さんの詠まれた詩だとは知らなかったなぁ... 

 

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ちなみに、

北鎌倉の東慶寺さんには大拙居士揮毫の 「水月」 の扁額が、
水月観音をお祀りするお堂に掲げてあったね


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