会津若松篇ダイジェスト6 | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

 それはそれとして、今のあなたの学説はごもっともだけれども、
 もっと我々が、肉感的に考えていったら、違うことになるのではないだろうか

 鈴木大拙


そう、いつも感じる違和感はこれだ

言葉が熱かった、若松英輔さんが大拙博士を語る


 「本当に大きな人は誰にでも学べる」


小さな人をTV画面の中でよく見かけるからか、殊更に印象も深く、、


 「容易にひとつにならないものをひとつにした時に、
 我々は今まで見たことのなかったものにふれるだろう」


容易にひとつにならないもの、たとえば生死の問題もそうだろう、
どうしても、自分の了見の中だけで理解しようとすればただただ、
わからないままに終わってしまう
読書をすることの大きな楽しみのひとつはわからないことに出会うこと、
どう観じれば受けとめることが出来るのか?そう自分に問いかける
音楽でも絵画でも同じこと

 「死ぬ時節には死ぬがよく候」 とは震災直後に知人に書き送った
禅僧良寛和尚の言葉だけれど、これは、どう受けとめればいい?

親しい人を亡くした人に僕は、この言葉をかけることが出来るだろうか?

ずっと考えて、考えて、、その込めた思いを考えて、どう受けとめればいい?

と、

そんなとき、ふいに、ふっ と耳にした言葉が入り込む、、そうだったかと、入り込む、、、


会津若松篇6

 以前にも、出張で幾度か、


御朱印その6
 右より
  天寧寺 阿弥陀時さんから歩いて四十分ほどかな? 会津での散策はここ天寧寺さんより
  善龍寺 西郷頼母墓所、奈與竹之碑、今は御朱印はされてない御様子
  大龍寺 「八重のふる里」、境内では意外な板碑も... どういう経緯だったんだろう?
  妙國寺 容保公謹慎の地でも



天寧寺さん:洗心


善龍寺さん:なよ竹の碑


大龍寺さん:慶喜公 (一橋家) 筋である渋沢栄一氏揮毫の篆額だねぇ... 


妙國寺さん:白虎隊最初の埋葬地



純米原酒会津中将:こちらも美味しゅうございました、小粋な小皿も家族分を購入し御土産として

 


ダイジェストはこれにておしまーい、小ネタを絡めた本編もそのうちに、、、

ふ~


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