** 綺麗な手じゃないか佛様の手だぞ ** | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

 信仰は
 単純です
 一羽の鳥と
 話ができたら
 もう求めなくていいです

 信仰 / 坂村真民


この日は期せずして、というかそう来られたかぁーというか、
大拙博士没後五十年に寄せられたもので、、

そもそもこの日は大拙博士が道心を起こされるきっかけとなった
今北洪川老師生誕二百年にあたる日でもあった


 「今日は何の日かご存知ですか?」

参議院選挙の当日です、私は朝早くに済ませてきました、と、
軽くジャブがきたのは、いつもの管長さんのご愛敬


今北洪川(1816.8.3/文化13年7月10日-1892.1.16/明治25年)
釈宗演(1860.1.10/安政6年12月18日-1919.11.1/大正8年)
鈴木大拙(1870.11.11/明治3年10月18日-1966.7.12/昭和41年)


 十六歳の少女は問う
 「人生の意味は何ですか?大人になってもつまらない、
 これ以上生きていて何の意味があるのですか?」

 八十一歳の老禅者は応える
 「手を出してごらん、綺麗な手じゃないか佛様の手だぞ」



なるほど...何度か拝聴してきた中にも 村上鬼城 (*1) の親の形見の話があったっけ、、、

写経を終えたその後は、大拙博士のお墓のある東慶寺さんへ、
東慶寺さんはその中興の釈宗演老師の墓所でもある


 少女はまだわからなかった
 「どうして私の手が佛様の手なのですか?」
 老禅者は逆に問う
 「あなたは今、私の手と言われたけれども、あなたが作ったものですか?」



問いがそのまま答えになるとはこういうことを言うんだろうなぁ... 少女は ハッ としたことだろう

はかり知ることの出来るものでは到底ない 大いなるもの の例え、
言葉にすることは出来ないけれど、佛教ではそれを仮に 佛様 といったに過ぎないのだし、
生きているのではなく、生かされているというこの感覚のことなんだろう

この日管長さんは次のようにしめくくられた
たび重なるテロや人種間の争いに対して向けられていたようにも思えた


 この手は佛様の手ですから人に親切にするように、
 この目は佛様の目であるはずだから人の悪いところを批判する目ではなくて良いところを見ていくように、

 そしてこの耳もまた、

 人の悩み苦しみを聞いてあげたいという耳でなければならないでしょう



この、こういう感覚をこそ、仮に 宗教心 というのであれば 宗教 もまたいいものだなぁ、、


初期佛教は大陸を渡るなかで当時の中国においては老荘思想を取り込み、そして、、
海を渡り日本へ辿りついたようだ
更にはここ日本おいて、独自といってもよい佛教 、ひいては、禅 (ZEN) が育っていった
大拙博士によれば、そもそも日本人には、この渡来の宗教を受け入れる素地はあったということだ

その時の少女は今、鈴木大拙館の名誉館長をされている
一足先にその館を訪れいる娘はとても気に入ったようだ、
いつか僕も、その館の前に佇んでみたい


目先のことだけに囚われた投票はとうにしなくなった、
少しでも子供たちの住む世代が安らかなるものであればいい、
自分の影に、自国の影に怯えることのない世界であってほしいと願うだけだ


 西洋型の考え方や感じ方は、これを手にたとえて言えば、
 五本の指のうちの一本が独立して、ほかの四本にたいして権利を主張する。
 小指は小指であり、親指は親指である。それで小指は小指としての、
 親指は親指としての責任を果たす、道徳をまもってゆく。
 東洋はその反対で、五本の指がおかれているところ、または五本の指の出てくるところ、
 それは手のひらであり、手ぜんたいであるといってもいいが、その手ぜんたいをつかもうとする。
 根本をつかめば、五本の指はひとりで動くと考える。
 だから小指が親指で、親指が人さし指だというようにもいえるのです。

 「東洋の心」 東洋の考え方 / 鈴木大拙


この日いただいた御朱印
今北洪川老子生誕二百年


この日の円覚寺山内


*1:鳥取藩士の長男として、江戸小石川に生を受ける


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