会津若松篇ダイジェスト1 | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

特別な何かがまだあるのでは?と求める阿難尊者に、
二祖迦葉尊者が声をかける、阿難は 「はい」 と応えた
それを聞いた迦葉は、門前に掛けてあった説法会を知らせる板をしまわせる、
そもそも伝え教えるべきものはもうありはしなかったのだ

 迦葉召阿難、阿難應諾

ハッとさせられるねぇ...

外へ外へと求めれば自ずと内なるものを忘れるの道理で、、
あなた自身があなた自身であること自体で十分なはずであるなのに、
そこに素晴らしさがあるというのに、、


さてさて

その年は残り3ヶ月となったところで急展開、長期出張に行ってくれないかとは上司より

そんなことで久しぶりに会津若松にしばし逗留することになった
それ以前にも2000年を前後して2年ほど住んでいたこともある、出張でも幾度かあったね


ということで、

ようやく、、



会津若松篇1

 この時面白いなぁと思ったのは、滞在の始まるその日が、、
 斎藤一の没後百年となるちょうど、その日だったんだなぁ...

  斎藤一(1844.2.18/天保15年1月1日-1915.9.28/大正4年)

 滞在にえらんだ仮住まいは、阿弥陀寺さんまで徒歩2分 (早足で1分) の位置、
 だから、ほぼ毎日お墓参りをしてたね

 そんな勝手知ったる会津若松の寺社+αを、まずはダイジェストにて (=゚ω゚)ノ~


御朱印その1
 右より
  阿弥陀時さん 会津東軍墓、齋藤一墓所 (今でも御朱印をいただけるかは?)
  興徳寺さん 蒲生氏郷公墓所、会津戦争では桑名藩屯所、松平容保公句碑、皇室ゆかりでも
  鶴ヶ城稲荷神社 鶴ヶ城内鎮座、直書き御朱印は 蚕養國神社さん にて
  蚕養國神社 神職の方にいろいろと教えていただいた、感謝感謝




阿弥陀時さん:奥に見えるは鶴ヶ城唯一の遺構 御三階、その手前横には藤田家のお墓が


興徳寺さん:容保公自筆の和歌、北鎌倉円覚寺さんともご縁のある禅寺で、また、紀子様ゆかりでも


鶴ヶ城:「坂の上の雲」 にも登場する人物の揮毫だけど、どういう御縁だったのかは、、次の機会に


お気に入りのカフェ:三番山下、雰囲気がよいのだ◎


ガラ~ン:お気に入りのTシャツを飾るの図



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つづく、、、

 


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