生玉稲荷神社 [愛知県] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

明治がなって百五十年というフレーズをよく目にするこの年を、少し目線を変えてみると、、、


慶応四年 (1868年) 三月、太政官 (明治新政府) は 「神仏判然令 (神仏分離令) 」 を出し、
さらに明治と改元した十月にはその政令を発布し、その国策を徹底させた、、


だから今年は、

神仏分離百五十年でもあるんだなぁ


この政令を仏教廃棄 (廃仏毀釈) とみた神道家を中心とし、お寺やその寺宝である仏像などは破壊され、
あるいは、格安での海外へ流出... という流れになるんだね


しかしその神道も、、、


さてさて

この日は午の日ということでお稲荷さんである


生玉稲荷神社

鳥居


使徒狐


創建は明らかではないが、社殿によれば千二百年頃のことだとは由緒書きより

その後の天正の初期、織田氏の一族小幡城主であった織田源三郎 (信長公の甥) は、
このお社を城内の守護神として奉祀されたとあった


御朱印
東京では抱稲紋の押印のある御朱印はよく目にするところだけど、、
東海圏は宝珠の押印が多いような (・ω・)?




生玉稲荷神社
社務所に掛かる看板は愛知万博でも活躍された書家黒田玄夏氏の書とのこと、
お近くにお住まいの御縁によると教えていただいた
愛知県名古屋市守山区小幡中3丁目13番44号
2018.5.26 (午の日) 参拝





ところで、

何故、お稲荷様は神社のイメージなのだろうか (°_°)?


神仏判然令は、お稲荷様をお祀りする寺社にある決断を迫る、

神様or仏様か?どちらで申請するのかと

豊川稲荷はお寺として曹洞宗妙厳寺に、伏見稲荷は神道である伏見稲荷大社として申請されたようだ


結果、

神道として申請したお稲荷さんが多かったということなんでしょうね


まぁ ぽっと出の薩長による政府とは云え一応国策だから、
神道の国教化は中央集権の画策のひとつとしていたようだし、当然そうなるわなぁ... 

ただそれと引き換えに、その神道も、特に地方の独特の伝統神事は徐々に絶えてゆくことになるんだけど、、


にしても


その百五十年前にはまだ、鎌倉の鶴岡八幡宮さんに五重塔があり、
江ノ島には三重塔があったなんて想像もつかないよね