僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって
ひとつめは、
ここじゃどうも息もつまりそうになった...
ハイウェイ / くるり
*プロローグ*
まずもって 「友愛」 の源流に迎えられた

文部大臣鳩山一郎氏による門標
さてさて、
閑かさや 岩にしみ入る...

雨の止んだ刹那、一瞬の静寂も感じてみたかったけど、まぁそこまでは欲張りか

五大堂が霧に包まれていくと同時に人も自然の中にとけこんでいくような感覚が、
でも、
芭蕉はこの霧景色は経験しなかったんだろうねぇ
芭蕉が訪れたのは新暦で云う七月十三日のようだから
そう思うと、
芭蕉も見れなかった景観を見ているんだなぁ... という感慨が
「(中略)…岸を巡り、岩を這ひて、仏閣を拝し、
佳景寂寞(かけいじゃくまく)として心澄みゆくのみおぼゆ。」
奥の細道 / 芭蕉
霧は雲海となり、山はのみこまれていく...

今とは違い修験道さながらに簡単には登ることさえ出来なかったと思う、
石段もなかっただろうし
それはむしろ故郷鳥取の三朝町にある三徳山三佛寺奥の院投入堂を目指すような、、、
感じだったのかもしれない
石段を上りつつ、奥の院をめざす... その感覚に
「山形領に立石寺(りふしゃくじ)という山寺あり。
慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地なり。…」
奥の細道 / 芭蕉
芭蕉の旅の行程はこうだ、
松島→ 平泉→ 山寺→ 最上川源流→ 出羽三山
後世に残る俳句がザクザクと出てくる
平泉
・夏草や兵どもが夢の跡
・五月雨の降り残してや光堂
山寺
・閑かさや岩にしみ入る蝉の声
最上川源流
・五月雨をあつめて早し最上川
この時は御本尊薬師瑠璃光如来立像の五十年ぶりのご開帳に合わせた参拝で、
だから根本中堂内陣では 「不滅の法灯」 を、これがそうかーと間近に
また、その前で振り返ると、、
お薬師様から見て左が牛若丸の修行の図、右が源平合戦の図
色が褪せて分かりにくくはあったけれど、
これらの絵も次に拝むことが叶うのは五十年後かと思うと、
その時にはもうこの世にはいないだろうなと思うと、、
この 一期一会 の邂逅に胸がいっぱいになった
でも、万が一元気だったら?
また拝むことが出来たなら??
涙出ちゃうねきっと
お薬師様をお祀りする内陣を「抜苦(ばっく)殿」と云い (本坊の門が「抜苦門」だったね)、
外陣にその扁額が掲げられていたけど、なるほどなるほど、お薬師様だからねぇと納得
「医王殿」 (延暦寺) や 「瑠璃殿」 (寛永寺) はよく目にするところだね
で、
思いきって、、
五十年に一度だからと”お堂”の名前を書いていただけないかとお願いしてみた
もちろん 「抜苦殿」 をイメージしてのことなんだけど
が、、、
(゚O゚)\(- -;
「薬師如来」 のみとのことで
あう〜

お堂の名前はこれまでもよく書いていただいていたので
もしかして、という淡い淡い期待はあったのだけど
でもでも、
実地でよい勉強させていただいたような気がして、
何だかとてもうれしかった
いただいた 「薬師如来」 もこうした会話とセットで思い出として...
つづく
宝珠山立石寺 (通称山寺)
天台宗
山形県山形市

