私は仕事柄、いろいろな地方でいろいろな話をする。
いろいろな話とは、ちょっとばかりの心理学的な話、そして、残りの大半は誇張した作り話、ホラ話などである。
関西地方で生まれ育った私は、人とのコミュニケーションというものはそういうものであると、幼児期からの経験により学んできたのである。
これが、真面目な人々が住む地方においては、まったくもって仇となるわけである。
関西地方の文化として、みなさんもお聞きになったことがあるかもしれないが、たとえば、新大阪駅でコテコテの関西人に向け、指鉄砲で「バーンッ!」とピストルを撃つ真似をしてみると、愛ある関西人は「う、やられた‥‥」などのリアクションを必ず返してくれる。
これが気の利いた関西人であれば、「おーっと、あぶねぇ! 坊や、火遊びは危険だで。チッチッ」と、指をふり、さっそうと去っていく‥‥などと言うことをしてくれることもあるのである。
誤解のないように言いたいのであるが、まったく初めて会う見ず知らずの人との関係でこうなるのである。
そう、関西にとっての対人関係の基本は、「自立と依存」ではなく、「ボケとツッコミ」なのである。
目の前にボケている人がいれば、必ずそのボケを拾い、つっこんであげることが、良好なる人間関係の基礎であり、それこそが愛であると学んできているのである。
だからして、目の前でボケている人がいるにもかかわらず、スルーする、放っておくことは非道である。これを“ボケ殺し”といい、親殺しよりも罪が重いとわれわれ関西人は認識する。
まして、ボケている人が目上、もしくは会社の上司や近所の年長のおじさん、おばさんであれば、これはもう、命を賭けてそのボケを拾い、つっこんであげることこそが礼儀なのである。
もちろん、この場合は「なんでやねんっ」と年長者の頭をはたくことも許される。
「そんな失礼なことを‥‥」と思わないでいただきたい。失礼なふるまいよりも、ボケを拾わず、放っておくことのほうがよほど失礼にあたるのである。
そして、のちのち、飲み会などにおいて、「ありがとうな、オレのボケ、いつもつっこんでくれて。おまえあってこそのオレや」などと、涙ながらに感謝されるということは関西ではよくあるのである。
さて、このようなコミュニケーションを学んできた私が、真面目な地方都市でセミナーをしたと思っていただきたいわけである。
もちろん、事務所からは、「できるだけ本来の自分を抑圧し、みなさまがイメージしていらっしゃるであろう“立派な人”のふりをするように」と厳重に言いわたされる。
もちろん、昨今の流行りのネタだからと言って、「オッパイ、さわっていい?」、「縛っていい?」などという「ワイドショーのネタ」などはけっして言わないようにと厳命されているのである。
「とはいえ、下ネタでなければ、多少はボケてもよかろう」という、私の甘い考えがあったことは事実として認める。
その日、かわいい女子からこんな質問をいただいたと思っていただきたい。
「平さーん! 平さんの頭は前から見たら細いのに、横から見ると、なんでそんなに長ーい形なんですか?」
冷静に考えると、これもけっこう失礼な質問なのであるが、そんなことよりも、関西人としては「やはりボケて返すのがインテリジェンス、そこにセンスの良さがあらわれる」というほうに考えが向く。
だからして、事務所の言いつけを忘れ、ボケてみたのである。
「うーんとね、それはね‥‥。おかあさんのおなかの中にいるときに、ゾウに踏まれちゃったからなの」
が、真面目な地域の人々は、「えーーー!! おかあさん、大丈夫だったんですかっ!!」とおっしゃるわけである。
もちろん、ほんとうにゾウに踏まれたわけではないので、私は困る。
「えーっとぉ、ほんとうにゾウに踏まれたわけではないので、大丈夫だよ」
「じゃあ、なんで、そんなウソを言うんですか?!」
「いや、きみたちがお化粧をするように、お話もお化粧したほうが失礼にならないかなぁーと思って‥‥」
「でも、ウソですよね!!」
「ま、まあ、そうだけど‥‥」
「ウソはよくないから、二度と言わないでくださいよ!」
「い、いや‥‥、そ、それは約束できかねる‥‥」
「なんでなんですか!!」
つぶらな目に涙をためられるに至っては、「いっそ、殺してくれっ」と思うばかりなのである‥‥。
対人関係と申しますか、コミュニケーションというものは難しいものでございます。
今年も夏がやってきます
今年の夏はどんな体験が訪れるのかドキドキワクワクな5日間をお楽しみください