太極拳の対称対応原理 (3) | 健康・護身のために太極拳を始めよう

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太極拳は、リラックスによるストレス解消、血行改善、膝・腰強化、病気予防などの健康促進効果以外に、小さな力で大きな力に勝つような護身効果もある。ここでは、中国の伝統太極拳の一種である呉式太極拳の誕生、発展およびその式(慢拳・快拳・剣・推手)を紹介する。


前回は、体内の陰陽変化で外形の拳法を司る運動を太極拳と呼び、外形だけのものは体操としか言えない、そしてその太極拳の根幹である陰陽変化に対称対応原理が働いていることを議論してきた。今回は、陰陽哲理の一側面で同じく対称対応原理の範疇にある虚と実について更に議論を展開していきたいと思う。 前回の内容と同様、修行の段階にもよるが、このような基本的なものこそ理解しがたい奥深さがある。


【太極拳の虚と実】


虚と実は太極拳の生命線とも言えるほど重要だ。 足の虚実は体重を負担しているほうが実、負担していないほうが虚、というふうに体重の所在で簡単に決められるが、手や他の部分については 虚は実と比べ、より分散的・柔軟的・可変的・防御的・準備的な要素が多いのに対し、実は虚と逆の要素が多い。


対称原理により虚の部分にも意の注入が必要だ。特に足の場合は、体重が右にある時、左足に体重相当の意を注がねばならない。逆も同様だ。一方、実足も地面に体重を百パーセントどっしりかけてはいけない。これは「実の中に虚があり、虚の中に実がある」という陰陽哲理の具現でもある。理屈っぽく見えるが、すべて実戦のためだ。


動作における虚実転換は漸次的だ。虚から実へ転換するに当たって実の要素が漸増すると同時に反対側はその分だけ漸減し、実から虚へ転換する。 呉式の「摟膝拗歩」の動作を例にとれば、体重が後方の右足にあり右腕を前方へ押し出すに当たり、右腕は実の要素が漸増するにつれ、虚から実へ転換すると同時に、左腕は左下へ降ろしながらその分だけ実の要素が漸減し 実から虚へ転換する。手の動きと同時に両足も同様に虚実変換を行う。 「その分だけ」というのが対称対応の陰陽哲理のポイントだ。他のすべての動作においても 同様の留意が必要だ。「変転虚実須留意」 (武禹襄氏《打手要言》より。 「虚実の変換に留意が必要」の意)という名句はこの視点からも理解できる。太極拳の動作はそれだけ意識による綿密な制御が必要ということだ。


一方、推手の時は自分の虚実を相手の虚実によって変化させ、相手が実なら自分が虚、相手が虚なら自分が実、相手の虚実をいつでも把握できる と同時に自分の虚実を相手に察知されないように言わば「人不知我,我独知人」(王宗岳氏《太極拳論》より。「相手が自分を知らず自分が相手を知る」の意)の機敏な体を作る。聴勁の磨きはそのためでもある。 虚実は相手との接触点に現す。肢体を虚によって「粉砕」できれば、体全体の均衡が相手の力によって左右されず、更に「粉々」にされた肢体に意を通すことにより 虚から実へ変わり、一丸となった肢体が絶大な威力を発揮することができる。


虚の基本は「鬆」だ。また「柔」ともつながる。ところが、本当の「鬆」・「柔」でなければ虚にはならない。虚は相手からの力を吸収し身の安全を守ることができるが、力を受けると抵抗するか受ける前に逃げるかが人間の本能だ。従って、虚の修行は簡単ではない。虚と比べ、実は分かりやすいように見える。しかし、力を入れるのが実というわけではない。実は虚に対するものだ。 虚からエネルギーを集め、元以上に集中的に出すのが実だ。虚も実も中身は意・気だ。ある意味で虚は内気の分散、実は内気の集中だ。


套路で虚実を区別しないのを太極拳の専門用語で「双重」と言うが、推手の場合は 相手からの力(実)に対し虚で消化できず同じく力(実)で抵抗する現象も「双重」と呼ぶ。一方、虚100%又は実100%というように、虚実の不均衡現象を「偏沈」と言う。自転車のペダルを踏むとき、両足で同時に同じ力で踏むと車輪が回らず、片方の足で全力、もう片方の足ではまったく踏まなければ自転車は転倒するだろう。 この喩えの前者は「双重」、後者は「偏沈」なのだ。 「双重」も「偏沈」も誤りだ。いずれも対称対応原理の違反だからだ。