大阪 堺市 中百舌鳥(なかもず)の腰痛改善専門のひらかわ整体院 院長ひらかわです。

「腰痛がない日常が幸せ。腰痛がない世界へ」
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😆ひらかわ院長はこんな人😀

18歳日本一周…バイト経験40種。海外留学。26歳独立。挫折。波乱万丈のストーリーをお話します。

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今日は、僕が尊敬する明治から大正、昭和にかけて沖縄から開拓移民として渡米した真栄城守和(マエシロ シュワ)の開拓移民の話を書いていこうと思います。

自分の今までの思考や行動にとても似ているとところもあり、その行動力を見習いたいと思っています。


実はこの「シュワ」僕のひいじいさんの事なんです。



ご興味有ればどうぞご覧ください。



【明治から大正時代14歳で中学校を中退。アメリカ大陸を目指した男】

明治から大正、昭和の時代の中頃の話。

僕のひいじいさんのシュワ。

これは去年沖縄のお盆に帰った時に90代の親戚のお婆さんに聞いた話をまとめたものです。




シュワは、14歳の時に首里中学校を卒業目前に突然、退学しました。


その目的は、アメリカ大陸を目指して開拓する為。

新しい土地で自分の力を試したい!そんな思いがあったのでしょう。



当時は日本から直接米国へは行くあてがなく

まずは、ハワイに渡りました。

日本人コミニュティで数年暮らしながら、英語を習得しその習慣を身につけました。


その後に本国アメリカに渡りカリフォルニア州南部の都市インペリアルバレーで土地を開墾し生活していました。

今考えると船での渡米数ヶ月〜1年を要したと思います。

慣れない環境で土地を開墾しながら苦節の末成果を出したのでしょう。

10年後には、沖縄の妻(ひいばあちゃん)を呼び寄せました。


その妻(ひいばあちゃん)は、ウチナカンプー(沖縄の民族衣装)、手にはハジチと呼ばれる沖縄の女性の刺青の姿で海を渡ったそうです。


なんだかたくましいですね。



(今の日本人の格好というよりは、現地のネイティブアメリカンの様な風貌に似ていたのではないでしょうか??)



その土地ではそれなりの成果を挙げ同じ移民達からも信頼されリーダーとして活躍したとの事でした。


当時の沖縄の新聞にもその活躍は掲載されたそうです。



沖縄人のフロンティア精神が垣間見えます。





【生まれた子供に名付けたアメリカの名前】


シュワの妻が後を追ってアメリカに移住した後に産まれた4名の子供達。

(残っていた当時の写真)


その兄弟の名前はそれぞれ


トーマス・エジソンから 「トーマス」


ジョージ・ワシントンから 「ジョージ」


チャーリー・チャプリン「チャーリー」


と命名されたそうです。


(僕のおばあちゃん(左)。女の子だった為アメリカ名は命名はされなかったそうです。もちろん日本語名もあります)




その後、アメリカとの戦争が始まり家族総出で日本、沖縄に帰国したとの事。




数年前にあった今年99歳のトーマスおじさんは、まだまだ元気そうでした。



(長男の「チャーリーおじさん(勇)」は、成人後、琉球放送のアナウンサーとして活躍し、沖縄文化の収集家としても有名でした)


http://blog.livedoor.jp/atmyoo1/archives/38889105.html





(僕のおばあちゃんキヨの写真)



シュワは、帰国の途中肺炎を患いながら、帰国後41歳。沖縄で亡くなりました。


夫を亡くしたひいばあちゃんは親戚のいる沖縄県佐敷に4人の子供達と移り住みます。



そのひいばあちゃんは、当時の佐敷の村人達の誕生日を覚えておりみんなから「マーマ」と呼ばれ慕われていました。
(もともとは首里に住んでいた一族は、廃藩置県後に佐敷に集団移住していました)




【最後に】
僕は沖縄で生まれて毎年お盆の時期には帰り親戚周りをしていました。

しかし、自分の先代のこの物語を聞いたのは今回が初めてでした。
今まで全く知りませんでした。

この様なひいじいさんの話を聞き沖縄の人々のDNAに刻まれた積極的な開拓精神に驚きました。