外の木も落葉をおえ、ようやく外掃除もひと段落しそうです。

最近はマイナス気温になり、外に出るのも億劫になっていました。


そしたら、仕事を抜け出し、バラの花束を抱えた隣の家の夫が帰宅。


お隣のお嫁さんのお誕生日だったようです。


うちにお茶しにおいでとのお誘いを受け、外掃除を終わらせたあと、

さっそくパンを焼きました。


ウズベキスタンの過ごし方


久しぶりに焼いたパン。

測りも使わず適当にやってしまったんですが、ラッキーなことに成功。


帰国時に余りそうな日焼け止めの美容液とパンを持って挨拶へ。

メフモンの支度がされていていました。

んで、流れでそのままメフモンされることに。


そして、つい先日ウルゲンチに来た新隊員も流れで合流。


ウズベキスタンの過ごし方


タダ飯食べさせてもらいました。



ウズベキスタンの過ごし方


こちらが主役のエリナ。30歳になりました。


元々エリナが二階に住んでいたところに、旦那さん家族が

一階に引っ越ししてきて、恋愛に発展。


実家がスープの冷めない距離で、なんともいい環境にお嫁にきた

エリナ。

旦那さんから買ってもらった$100のワンピースと$2000のネックレスで

ご満悦な1日です。


エリナの家族はもともとロシア正教。

お嫁に来てイスラム教へと改宗。

そこはホラズムらしく、宗教色が他の地域と比較して色濃くないので、

なんの問題もありません。


結婚式はキリスト色が強く、葬式に関してはイスラム色が強い。
宗教色の強さで言えば、日本みたいな感覚です。


それでも信仰心が強い人もいるので、一概には言えませんが…
と断りをいれておこう。




ウズベキスタンの過ごし方


愉快な家族がお隣さんで、ほんと助けてもらってます。

ウズベキスタンの過ごし方


この日はワインで酔っ払い、ばたんきゅーや。


新隊員さんもこんな勢いのメフモンによくお付き合いくださって。

うちが思うに、ホラズムに慣れるの上手だと思うなり。


ホラズム生活、頑張りましょう、お互いに…


最近、家でアンテナまったく立たず、ネットできない状態に…


どうしたんだか。


メールチェックもできず、めちゃくちゃ不便すぎる。



セミナーの話も、保健省から監査が来て、部長らに100の質問がくるとかで、

それが終わるまで、日にちもはっきりせず、お流れ状態。


多分、このまま年越すでしょう。


期待せず、静かに密かに機会を待つことにしよう。




先週の金曜、「割礼」見ました。一部始終。

一番良く話す看護師メフリボンの息子、ロヒムボイが主役の日。


話では家ですることになってたはずが、急な予定変更。

救急外来の処置室で…


おかーさんは泣き叫ぶ子どもを見るのが忍びないということなので、

自分だけ中に入ってみてきました。


局麻なし。

ものの5分。



「切るまえ、息子にはなんて説明したん?」っておかーさんに聞いたら、

「油を塗る」と説明したと。


処置が終わって車のなかで、「油塗った?」との質問に、

ロヒムボイは「うん」と答えてました。


かわいい…


処置中にぎゃん泣きしたせいか、あとは疲れ切って眠っていました。



んで、そのままみんなでメフリボンの家に戻って、うちは写真係という

ミッションをこなしてきました。



一歩大人になったロヒムボイ。

今日買ってもらった車のおもちゃで気を紛らわしています。


ウズベキスタンの過ごし方



次々に訪れる親戚や近しい人。


ウズベキスタンの過ごし方


口ぐちに「金の子」と言い、お金を渡します。




んで、ひとまず「オシュ」

やっぱりホラズムのオシュは美味い…


ウズベキスタンの過ごし方




それから、夜の集まりのための準備。

この日は魚のフライとチュチュバラ(ミニ餃子っぽいの)のスープ。


みんなと一緒にチュチュバラを作りました。

チュチュバラ先生に教えてもらい、成績も2→5まで伸びました。


ウズベキスタンの過ごし方




ロヒムボイはおしっこガマンしてるのと、痛いのとで、泣いては寝てはの

繰り返し。


ウズベキスタンの過ごし方




そんなことお構いなしに、訪問客は「どれ」と言って、パンツ脱がせたり、

覗いてみたり。

その都度ロヒムボイは「触らないで~」とぎゃん泣き。


そして、ウズベクでよく見かける「ケムリ」

なんかの植物を乾燥させたもので、この煙を嗅げば、風邪ひかないとか

病気が良くなるとか、そういった類のものです。


ウズベキスタンの過ごし方



部屋中に満ちた「ケムリ」

息ができなかった…




まるで日本でいう法事のような感じです。


ウズベキスタンの過ごし方


親戚一同、会しました。



もちろんウヲッカが始まりーの、踊りが始まりーの…


ウズベキスタンの過ごし方


自分も危険な位置に座ってしまい、ウヲッカをいただく羽目に。

そして苦手なお祝いの言葉を述べることになってしまった…


結局23時過ぎまでどんちゃん騒ぎやった気がする。

この日は爆睡でした。


朝から晩までトイレまで、ウズベクの人に囲まれ、疲労困憊。

でも、本当に充実していたし、来て良かった。


家族のつながりの大切さをまたひとつ教えてもらいました。



んで、ウルゲンチに戻ってから、この日退職の小児ICUの看護師に

会いに行って、花束を渡してお別れしてきました。


長年勤めていた職場をこの日限りで退職。

ロシアに出稼ぎに出ている夫のもとへ旅立つことになります。


感極まったんでしょうか、この日のバルノさんは泣き虫でした。



本当に、みんな病気をせず、健康で過ごしてほしい。

そう心から願うのでした。




そして、天気予報では明日から最高気温が10℃近く一気に低下して、

マイナスの最低気温になるとのこと。


冬の訪れを前に、急いで冬支度しました。

大掃除して、窓にビニール貼って…



「かかってこいやー、冬」ぐらいな気持ちです。


いや、でも、実際来たらかなり憂鬱やけど…



さーて、また1週間がんばるぞー。


最近、セミナーの資料のことばかりやってて、患者のケアにスタッフと

入ることが滅法少なくなっていました。


だからか、こっちの看護師のケアのしなさや、ドクターらによるいい

加減な蘇生法を目の当たりにして、最近気持ちが萎えていました。


たいした病気でもないのに、ちゃんと管理できていないから、すぐに

合併症を起こして、たくさんの人が亡くなっていくのを見るのはつらい

ものがあります。


最近は家のライフラインも不安定になってて…


そんなんで、帰国したい病が勃発して、最近はずっと悶々してます。



でも、今日一番話の分かる看護師とゆっくり話をする機会があって、

思ってることをつらつらと話しました。


別に返ってくる答えに期待してるわけでもなく、どうかしたいって思いが

あるわけでもなく。


結果、じゃーどうしようね(笑)って感じで終わったのですが、

なんか気持ちを分かってくれた、その看護師の気持ちが分かったって

ことがもう少し踏ん張るかって気にさせてくれた。



本当にいい看護師です。

その子が実際に患者さんにケアをしているかというとちょっと別なん

ですが、患者さんからはよく感謝されています。

聞く耳を持っているからなぁ。


「お金やモノはいらない。ただありがとうって言われるその気持ちのため、

自分の良心のために頑張る」って。


その気持ちがあれば、なんかのきっかけで患者のために頑張ろうって

思ったときに、先輩隊員や自分が伝えていったことが役に立つ日が

来ればなぁ…


なーんて思ったのでした。



十人十色という言葉がある通り、考え方は人それぞれです。

だから、自分の考えが正しいとか間違っているとかの話じゃないです。


自分が海外青年協力隊に応募した理由。


・海外での生活をしてみたかった。そして、そこから日本を感じたかった。

日本で生活しているときは、日本にいる感覚からの日本しかわかりません。

だから、外に出てみて、日本を感じてみたかったんです。


だから、何かを強く変えたいとか、自分がなんとかしなければという意識は

強くありません。

でも、自分がこの国で感じたことは日本に帰ってから、まわりの人に伝えて

いく必要はあると思います。


日本ではウズベキスタンという国自体、知名度が低く、自分も合格するまで

は聞いたこともありませんでした。


だけど、自分がそんな国に行ったことで、自分の周りの人が

「ウズベキスタン」について興味を示す。

そのつながりが、「世界をみる、世界からの日本をみる」ことにつながれば

いいなぁという思いです。


もちろんその逆もしかり。


日本人と接する機会がまれなホラズムの人たちに、自分を通して

日本を、世界を、そしてウズベキスタンを感じてくれればなぁ。




話がくどい。




まぁ、おかげさまでセミナーのスライド訳修正も終わったので、

あとは読みの準備にとりかかろう。


明日はその看護師の息子の割礼。

写真係としてお招きいただいたので、一部始終を見れるかも。

いやー、見れないかなぁ…



ちょっとだけ、わくわく。