台湾にもラジコンメーカーがある。最近は、日本メーカーも台湾に製造委託をしているところが増えてきていると聞いている。台中市工業區にはサンダータイガー(雷虎科技)、隣の台中市豊原區にはALIGN(亜拓家電)がある。サンダータイガーは旧台中飛行場で、ALIGNは豊原で各々毎年競技会を開催している。

そうはいっても、まだまだ日本のメーカーが強いようだ。サンダータイガーの競技会(http://ameblo.jp/taichu/entry-11347905054.html )を見に行ったが、ゲストで呼ばれていたのが日本のHIROBOの設計者であり、デモンストレーションは日本人でもあった。ヘリが宙返りしたまま飛び、垂直のまま横移動したときには驚いた。

台湾の模型やさんには、サンダータイガー、ALIGN、JRPropo、HIROBOといろいろあったが、結局すすめられたのがHIROBOだった。プロポはFUTABA、エンジンはOS、燃料はコスモだった。すべて日本製になってしまった。

HPを紹介しましょう。

サンダータイガー:http://www.thundertiger.com/index.php?lang=tw &

ALGN:http://www.align.com.tw/alignhtml/index.php



PA261107

以前、昼の九份(http://ameblo.jp/taichu/entry-10932432401.html ) を紹介した。

夜景もきれいであるが、特に平日は夕方からは観光客がいなくなるので、少しさびしくなる。


台日交流記-九份バス停
九份バス停 昼


九份から基隆
九份から基隆方面のながめ


九份バス停夜景1

九份バス停から基隆方面の夜景


九份基山街夕方
7-11隣の基山街入口(夕方)もう人通りも少ない。

九份基山街夜1

夜の基山街。一通りはほとんどない。

九份基山街夜1

基山街


九份基山街夜3

基山街

九份豎崎路夜2

豎崎路


九份豎崎路夜3

豎崎路。戦後の台湾を描いた「悲情城市」と言う映画で有名になった。


台日交流記-九份石段

昼の豎崎路


九份阿妹茶館夜
阿妹茶館は「千と千尋の神隠し」のモデルになったといわれています。

夜の九分は、この一角だけが観光客でにぎわっていました。夜景がきれいです。


九份阿妹茶館夜提灯1

阿妹茶館の提灯が明るく迎えてくれます。

九份阿妹茶館夜入口

阿妹茶館入口。おばちゃんがお茶、それとも食事と優しく迎えてくれます。

九份阿妹茶館夜基隆方面

阿妹茶館の窓辺にて基隆方向


九份阿妹茶館夜窓1
阿妹茶館の窓辺にて

九份阿妹茶館夜牛肉麺

阿妹茶館の牛肉麺

九份阿妹茶館夜海鮮麺

阿妹茶館の海鮮麺

九份昇平戯院夜1

九分は金鉱の街。豎崎路中ほどにある昔の昇平戯院と言う映画館



台日交流記-九份昇平戯院

昇平戯院


九份豎崎路夜4

豎崎路を昇平戯院から見る

台日交流記-九份國小のトロッコ

豎崎路の一番上は九份小学校



九份派出所
豎崎路一番下は九份派出所


台湾での自然美と言えば、阿里山(http://ameblo.jp/taichu/entry-11328042079.html )、野柳(http://ameblo.jp/taichu/entry-11304589238.html )、といろいろあるだろうが、私が感動したところに太魯閣(http://ameblo.jp/taichu/entry-11321961511.html )がある。なかなか日本にはない風景である。花蓮縣太魯閣の入口ゲートを越えるとまもなくこの絵画のような風景が見えてくる。祠の中央から滝が流れているのが特に印象的である。この水が枯れることはない。


太魯閣東西横貫公路門3

太魯閣入口


太魯閣東西横貫公路門入口

太魯閣渓谷を作る立霧溪


長春祠2
長春祠(駐車場からの遠景)

急な山肌に見える祠は、太魯閣から3000m級の山越えで台中までつながる中部横貫公路(http://ameblo.jp/taichu/entry-11322600471.html )の工事で殉職した212人の工員を祀ったものである。この公路は第2次世界大戦後、蒋介石とともに台湾に渡ってきた国民党兵士によって蒋介石の子の経國が指示し1956年から3年をかけて造られた。この長春祠は1987年に完成したものの、台風等の自然災害に見舞われ、現在のものは1989年に再建されたものである。



長春祠7

それでは、駐車場からここ長春祠まで歩いていきましょう。


長春橋4
まずはこの長春橋(1959年創建?)


渡りきるとそこが遊歩道の入り口。


長春祠遊歩道入口

入口

長春祠遊歩道入口慰霊碑
入口の慰霊碑

長春祠から長春橋

長春橋


長春祠6

岩に刻まれた長春聴濤

立霧溪2

立霧溪上流。向かい右手に駐車場。


立霧溪にかかる長春橋

立霧溪下流。長春橋

洞窟内

遊歩道


長春祠洞窟

洞窟

長春祠正面

長春祠正面

長春祠滝
滝。山の湧水が枯れることはありません。

長春祠から山頂の禅光寺までの1.4kmまでの遊歩道がある。


長春祠天堂路

左の山壁に遊歩道は見えますか。左上は禅光寺?


長春祠山頂禅光寺

禅光寺?


天堂路2

長春祠から登り始めてみましょう。

天堂路1

時間がないため途中で断念。

日治時代の日本人で現在の台湾人に一番有名は人と聞かれれば「八田與一」と答えるでしょう。私も台湾に赴任するまでは名前も聞いたころがありませんでした。

八田與一は、烏山頭水庫を造り、嘉南平野を豊かな耕地に代えています。


台日交流記-八田與一像

八田與一の銅像と墓左後ろは妻の墓


烏山頭水庫(http://ameblo.jp/taichu/entry-11325898933.html

烏山頭水庫 嘉南大圳(http://ameblo.jp/taichu/entry-11329181987.html

烏山頭水庫 八田與一紀念園http://ameblo.jp/taichu/entry-11329776540.html


参考文献:「台湾を愛した日本人」古川勝三

羽州街道は、ここ桑折町から山形(国道113号線)を通って秋田に抜けています。

旅の出発点は、1880年開業の桑折駅。


桑折駅
桑折駅。これは再建されたものでしょうか。


桑折駅前奥州羽州街道追分道標
駅前には奥州街道と羽州街道の追分の案内がありました。

この狭い路地を通っていくと・・・。


奥州羽州街道追分

奥州街道と羽州街道の追分といって羽州街道の起点になります。

右に行けはそのまま奥州街道。左に行けば羽州街道。


奥州羽州街道追分石碑
追分の前の道標


羽州街道道標

羽州街道の道標。左は東北本線


羽州街道と東北本線

左は東北本線

羽州街道一里塚跡

東北本線脇の一里塚跡。今は何もありません。


最上人道地下道
東北本線を横断する最上人道地下道。自動車は狭くて通れません。

もちろん江戸時代には鉄道はありません。


桑折町桃の郷
桑折町は桃の里です。


桑折町桃

桃畑がつながります。春先には桃の花が満開になるときれいでしょうね。


羽州街道半田1
屋根の形状を見ると蚕を飼っていたのでしょうか。

桑折町は養蚕も盛んでした。桑折町半田地区。


羽州街道半田村道路元標

醸芳小隣の半田村道路元標


羽州街道半田銀山遺跡

半田銀山橋台跡です。羽州街道を横断するように鉱山鉄路があったのでしょうか。

羽州街道半田銀山遺跡橋台上

ここに橋げたと線路があったのでしょうか。

羽州街道半田銀山遺跡坑供養塔
半田銀山の坑夫供養塔

羽州街道半田銀山遺跡明治天皇行幸記念碑

明治天皇行幸記念碑。明治9年、明治天皇は岩倉具視、大久保利通、木戸孝允を随伴し、御臨幸されています。


羽州街道半田銀山遺跡橋台跡
南側から見るとこうなります。


桑折宿
街中の 「桑折宿 銀山の里」

今回は桑折(こおり)駅から南下してみましょう。


桑折駅
桑折駅


桑折駅前翔太田良平

桑折駅前の地元の彫刻家太田良平さんの「翔」


桑折駅前異国の丘

駅左には桑折町出身増田幸治さん作詞「異国の丘」の歌碑


桑折町火の見櫓

奥州街道には昔懐かしい火の見櫓もあります。


桑折町こいで蔵


板塀見本

奥州街道の板壁はいかがでしょうか


桑折町家

立派な家が残っています。


桑折宿

店先ののれん


桑折SEONNE2

街中の像

戸長役場跡

戸長役場跡


戸長役場跡桑折カトリック教会

戸長役場跡は現在桑折カトリック教会になっています。


本間理容所

近くの床屋さん。屋根の装飾は歴史を感じます。

台湾にもこのような装飾(バロック調)のある町があります。

三峡(http://ameblo.jp/taichu/entry-11312601956.html

大渓(http://ameblo.jp/taichu/entry-11312678849.html


奥州街道

現在の奥州街道(無能寺前)


無能寺山門

無能寺山門


無能寺

無能寺


古家A2

廃屋があります。昔ながらの日本家屋です。


消火栓

消火栓も年季が入っています。


まゆたま

コーヒーの飲める街の図書館「まゆたま」昔、桑折町は蚕糸が盛んでした。

ふれあい館
ふれあい館(社会福祉協議会)

法圓寺

法圓寺


法圓寺芭蕉田植塚

法圓寺境内の芭蕉の田植塚


桑折御殿

桑折御殿(町の観光案内と物産館)

奥州街道からの伊達郡役所
奥州街道から見た町のシンボル伊達郡役所


大安寺梵鐘

大安寺の梵鐘


大安寺隣1

大安寺隣の家


古家B1

街の廃屋


桑折町排水溝

街の排水溝

桑折宿本陣跡
桑折宿本陣跡(今は駐車場です)


桑折町道路元

伊達郡役所前の交差点には桑折町道路元標がありました。


桑折警察署跡
伊達郡役所前の交差点には警察署跡(現在空き地)


この先に伊達郡役所(http://ameblo.jp/taichu/entry-11753444036.html )です。

福島県白河市南湖公園にあります。


創建:明治16年(1883年)


現在は、喫茶店になっています。趣があり、静かな喫茶店です。コーヒー片手に読書はいかがですか。


歴史的建造物を保存活用しているところは素晴らしい。




西白河郡役所8


入口の石碑



西白河郡役所10


隣は南湖神社



西白河郡役所と藤田記念館


右は藤田記念博物館




西白河郡役所


西白河郡役所




西白河郡役所1


西白河郡役所玄関。喫茶店とは思えません。




西白河郡役所2


玄関



西白河郡役所3


内部のシャンデリアも歴史を感じます。



西白河郡役所6


天井から下がった電灯



西白河郡役所4


コーヒーをのみケーキを食べ、読書。



西白河郡役所5


壁の電灯。装飾がきれいです。


他に郡役所を紹介しています。

伊達郡役所(http://ameblo.jp/taichu/entry-11753444036.html


大屯郡役所(http://ameblo.jp/taichu/entry-11109726602.html


虎尾郡役所(http://ameblo.jp/taichu/entry-11040178275.html

住所:福島県伊達郡桑折町


創建:1883年


国の重要文化財




1926年郡役所が廃止され、県の地方事務所として使われていた。現在、東日本大震災の影響で修復中につき、中を見学することはできない。




伊達郡役所


伊達郡役所




伊達郡役所玄関


伊達郡役所玄関。バルコニーの奥にはカラーのステンドグラス。







伊達郡役所玄関2


軒下




伊達郡役所塔屋全景


塔屋



伊達郡役所塔屋


塔屋


伊達郡役所玄関内部


窓越しに内部を見る



伊達郡役所裏


裏面




他に郡役所を紹介しています。


西白河郡役所(http://ameblo.jp/taichu/entry-11753447683.html


大屯郡役所(http://ameblo.jp/taichu/entry-11109726602.html


虎尾郡役所(http://ameblo.jp/taichu/entry-11040178275.html

台湾好きな人なら「後藤新平」の名前はご存じであろう。


後藤新平は1857年、現在の岩手県奥州市(旧水沢市)に生まれた。

現在でも後藤の過ごした家が残っている。


後藤新平旧宅門

入口


後藤新平旧宅

玄関


後藤新平旧宅井戸

玄関わきの井戸


後藤新平旧宅1


後藤新平旧宅庭



後藤新平旧宅台所

台所


後藤新平旧宅居間

居間


後藤新平旧宅囲炉裏

囲炉裏と後藤新平の写真

後藤新平旧宅玄関
玄関からの眺望

後藤新平旧宅座敷1
座敷


後藤新平旧宅行燈

後藤新平の使用した行燈


後藤新平旧宅小屋
後藤新平が子供の時に母に閉じ込められた小屋


また、近くには後藤新平記念館がある。

館内は撮影禁止でした。

後藤新平記念館
後藤新平記念館

水沢公民館入口

水沢公民館は1941年、読売新聞社正力松太郎が後藤新平の恩に感謝して旧水沢市に寄贈された。

日本で一番古い公民館だそうだ。


水沢公民館銅像
後藤新平と親交のあった読売新聞社正力松太郎の像


水沢公民館部屋
水沢公民館内会議室


第四代台湾総督の児玉源太郎とともに民政長官として、台湾の近代化に貢献している。
新渡戸稲造を呼んでの製糖事業も、八田與一の烏山頭水庫もそうである。

また、台湾の鉄道事業にも貢献している。各所に後藤の扁額が残っている。

勝興站(http://ameblo.jp/taichu/entry-11027281310.html )のすぐ近くにのトンネルには後藤の書いた「開天」の扁額が今も残っている。


勝興站二號隧道北側

勝興站近くのトンネル


勝興站二號隧道北側開天1
「開天」の扁額


台湾博物館(http://ameblo.jp/taichu/entry-11160178962.html )には、今も、児玉源太郎と後藤新平の銅像が残っている。


台湾を離れてからも、満鉄総裁、関東大震災時の東京市長でもあり、東京を復興させた。

小正月になると、みずきの枝を切って屋内に持ち込み、直径φ1cm程度の米粉の団子を枝に刺していく。団子は、食紅で緑や赤に彩色されている物もあるが、我が家では彩色はしない。また、キツネの形を作り、口には稲穂を加えさせる。最中の皮のような材料で宝船、たい、等も枝に飾る。また、Y字の枝の両端に団子を付けたものを節分の時の豆まきのように、玄関、台所、トイレ、蔵、小屋等にも置いておく。そのようにして五穀豊穣、無病息災を願う。

1月20日には、それを下げ、団子はみそ汁に入れて食べ、家族の健康を願う。


団子さし1