親父の半生のお話 | クワガタ・カブト ドタバタ親子日記と不動産管理 令和編

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大阪を中心に不動産投資と管理を行っています。この10年以上は物件の購入ばかりで、管理物件と借り入れが激増。賃貸マンション・オフィス・店舗・倉庫など、約800の店子さん相手に毎日奮闘しています

少し前に、私が聞いてる親父の生涯を書こうかなと書きました

 

需要があるかわかりませんが

 

私のわかる範囲でざっくり書いてみます

 

・・・・・

 

昭和17年7月、淡路島で5人兄妹の長男として生を受ける

(5人中2人は生後すぐに死亡)

 

母は、地元で代々続く家系だったが祖父が商売失敗とギャンブルで自殺

(親父からみた母です)

 

祖父の失敗のため、持ってる田・山林などの財産の大半を手放し貧乏になる

 

父は、婿養子で母と結婚する

(同じく親父からみた父です)

 

昭和21年の南海地震で住んでる家が倒壊

 

小学生のころ足を怪我し半年間入院、学校の勉強についていけなくなる

 

中学を卒業、学力がなく、家にお金がなかったので中卒で仕事を始める

(郵便局や役所で勤務したかったらしいですが勉強ができなかった)

 

最初は父親と一緒に瓦関係の仕事をしていたが、父親のやり方に反発を覚える

(父親は人がよく、安い賃金で働かされたと言ってます)

 

これでは駄目だと思い、親元を離れ大阪にでてくる、大阪港区の瓦問屋に丁稚奉公として住み込みで勤務

(淡路島は瓦の産地です、その伝手で働き先をみつけます)

 

20歳まで丁稚奉公で働き独立資金を貯め、独立

 

個人事業主として瓦の販売、施工の仕事を始める

 

その時の取引関係から将来を見込まれ、取引関係者の長女と見合いして結婚

(これが私の母親です)

 

27歳で長男が産まれる

 

株式会社を設立

(これが今の会社です)

 

東大阪で借家を借り、住宅と仕事場を兼用、絶えず職人が家の中をウロウロする状態

 

30歳で次男が産まれる

(これが私)

 

瓦の施工だけでは、施主に使われるだけと思い建売業を始める

 

昭和50年代に、瓦・建売・土地売買・仲介など社業を広げる

 

瓦倉庫兼本社を東大阪で設立、住宅は職場兼用でなくなる

 

次男(私)の希望で犬を飼う

 

借家から持ち家に住み替え

 

昭和60年代から平成初期、バブル景気で売り上げが最高潮になるが、この時に現金取引で数億円の現金がころがってるのを見て怖くなる

 

平成2年のお正月、会社の朝礼でこんな事は長くつづかないと言って会社で所有してる土地・物件の大半を売却する意向を示す、社員が反発し多数の社員が退職

(社員さんは歩合なので売買をしないなら会社にいても意味がないと退職、この話は自慢話なので数十回聞きました)

 

バブル崩壊、会社の損失を最小限におさえバブル崩壊を乗り切る

 

平成3年、取引先が倒産、手元に決済するはずだった土地と賃貸マンションの図面が残る、仕方なく自社で図面通りに建物を建てる、これが賃貸業のスタートとなる

 

平成4年以降、建売の分譲を行うと同時に分譲地の条件の悪い土地に賃貸マンションを建設

 

平成10年以降からは建売の比重を下げて賃貸マンションに以降、平成17年までに数棟の建設と購入を行う

 

平成10年代の半ばで建売業から撤退、賃貸業にシフト

 

平成18年、土地・建物が高騰するのをみて賃貸物件の購入をストップする

 

整理回収機構より、淡路島でバブル時代のゴルフ開発用地だった山林を購入、住民票を動かし農業を始める

 

平成18年から平成20年の間は隠居生活をおくる

 

平成20年、リーマンショックで景気が悪化、リーマンショック前の3年間は物件の仕入れをストップしてたので被害を受けず

 

平成21年、サラリーマンで働いていた息子(私の事です)を後継者として会社に呼ぶ

 

・・・・・・

 

ここから以降は、私も並列で走っていたので別の機会に書きます

 

こんな話に需要はあるのか、月曜日に親父の半生の補足を書きます

 

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