答えなど何処にもない | Tahichi from GiNkS Official Blog

Tahichi from GiNkS Official Blog

タヒチのブログ。

不死鳥よ永遠に。



僕が子供の頃といえば、深夜に放送していた新日本プロレスや全日本、ノアなどの地上波放送を今では懐かしいVHSビデオで毎週録画して、学校からの帰宅後見ることが楽しみの一つでした。

たまに周りに笑い話で話したりしますが、当時高校生だった僕は朧気ながら将来はプロレスラーになりたいと思い始めていて、といってもレスリング部の無かった高校に入学したのでどうしたものかと頭を悩ませていました。

何を勘違いしたのか、体をバキバキに鍛えるだけ鍛えて卒業後どこかの団体の門を叩けばレスラーになれると信じ込み、肉体改造のみに目的を絞って二年生になって間も無くの頃にやっとこさ腹を決め陸上部に途中入部することに。

顧問の先生にも入部動機は筋力トレーニングただ一点だということは伝え、お互いの着地地点を探りあった末に「何かしらの競技を専攻し、かつ最低限の競技大会には出場すること」という条件付きで入部は許可されました。

競技練習もすると約束はしたものの、心は最凶死刑囚編のジャック・ハンマー。

日に30時間の鍛錬という矛盾!は嘘ですがそれからはひたすら筋トレ筋トレただ筋トレ。

数ヶ月経ち筋肉の装甲を纏い始めた己の肉体の変化は、自己評価の低かった僕に初めてと言ってもいい自信を与えました。


行き過ぎるとナルシズムだと揶揄されることもある筋トレはそういったコンプレックスの裏返しだとかよく言われますが、自分に自信が付くなら万々歳だと思います。


そんな少し舞い上がっていた高校2年の夏、野球部なら甲子園を目指すように陸上部も国体を目指すべく県大会へ。

陸上競技の楽しさも知るようになり、競技練習もそれなりに打ち込むようになったとはいえ、やはり陸上部はあくまで筋トレの代替品的なものだったので、少しばかり憂鬱な気分で会場行きの電車に。

途中停車駅で入ってきたジャージの集団、その中になんとなく懐かしい顔が。

思いがけず中学の同級生と再会し何事かと思えば、なんと彼も陸上部でしかも僕と同じ競技専攻という偶然連鎖。

僕の知る限り一貫してサッカー部でお世辞にもマッチョとは言い難かった彼の筋骨隆々に変貌した肉体に、僕は旧交を温める会話など右から左。

我が陸上部の投擲系競技者は僕を除いてわずか2人、比べる対象がそもそも少なく遅れて鍛え始めた身にしてはなかなか自分は有望なんじゃないかと少なからず自惚れている節があった。

決して他の部員が大したこと無かったなどど身内を貶しているわけでは無い。

それでも圧倒的な未知の上位種に遭遇した時、レベルの違いにただただ愕然とする他ありませんでした。

どれだけ鍛えているかが全てと言っても過言では無かったその頃の僕にとって原始的な男、雄としての敗北感は筆舌に尽くしがたいものがありました。

外の世界を知りたった一つの敗北をもってして、自分のプロレスラーになろうとする覚悟がいかにいい加減で、そして大会の結果や明日明後日で見返してやる根性も自分には無かったことに気付きました。

それからプロレスラーはなりたい職業では無く観客席から眺める舞台のヒーローに戻り、陸上部での毎日はそれなりに楽しい高校生活の思い出のピースの一欠けらになり今に至ります。

基本的に負けず嫌いというかコツコツやるタイプの自分ですが、プロレスラーだけは自分でも驚くくらいすんなり諦めたと思う。

思い出やら感情がない交ぜになって「めちゃくちゃ後悔してます」感なシリアスな文になったけど、実際は「あ、これ無理だ」ぐらいのノリだったかもしれないです。

とにかくリングは僕にはあまりにも遠く眩しい夢舞台でした。





僕が初めてリアルタイムでプロレスを見たのはたしか、大森選手がアックスボンバーで秋山選手を仕留めたわずか7秒のあの試合の回想だったと思います。

ちなみに実家の部屋に飾ってある天山広吉選手がG-CLIMAX初優勝時の週刊ゴングと、読者プレゼントコーナーで当選した天山選手のサイン入りキャップが宝物です。

もっぱらテレビ観戦がメインだったのでインディー団体やその所属レスラーはほとんど知らず、プロレス週刊誌の中の写真ぐらいでしかインディー選手を見たことはありませんでした。

あとはオールスタープロレスリング等のプロレスゲームの隠しキャラだったりエディット機能の既存キャラで「こういう選手もいたのか!」と感心してたり。

そこで特に目を引いたのが「ハヤブサ」という選手でした。

説明欄に書かれていた「不運の天才」、「不死鳥よもう一度」といった子供ならビンビン反応してしまうワードに不謹慎ながらすごく惹かれたのをよく覚えています。

調べれば、若くして試合中の不慮の事故により全身不随となり復帰は絶望的とされ、それでも現在まで懸命にリハビリを続け、少しではありながら歩けるようにまで奇跡というかそれこそ死に物狂いの努力で回復されていたそうです。

当時のネット環境や田舎というのもあってか得られる情報が少なく、仕方なくゲームの中でひたすら彼の代名詞ともいえるファルコン・アローやフェニックス・スプラッシュを決めまくってました。


高校生だった頃に戻りますが、深夜の音楽番組だったと思うんですけれど、発売から半年ぐらい経ってたのかな?平井堅の「Life is...~another story~」のPVが流れてまして。

平井堅本人はほとんど登場せずに、いろんな職業の人達をインタビューっぽいアングルからのモノクロ気味の映像で流していくっていう歌詞やトラックの雰囲気もあってかなり味わい深いものになってまして。

ボロボロになった掌のサーカス芸人、傷だらけの手の寿司職人、これからお腹を痛めてわが子を生む妊婦といった、それぞれに肉体を酷使しながらも誇りをもって己と観客とお客さんと愛する人と向き合う人たちがクローズアップされていく。


そして、再び前を向くのが困難なほどに傷付いてしまった人もいる。

曲の後半にさしかかった頃、練習ジムのリングを背に車椅子に座った覆面の男が映されたその時、電光石火の勢いで脳が誰かなのかを理解し「ハヤブサ~!!」と初めてゲームで無く実写のご本人の動く姿を目にし、胸にこみあげてくる熱い感情に10年来の叶わぬ恋の想い人との出会いじみた感動がありました。



深い深い先の見えない絶望にいてそれでもなお拙いながら杖をとって懸命に立ち上がろうとする姿、最後のアップのマスク越しのキラキラとした笑顔で涙腺がやられました。

それまでろくに知らなかったというのに自分でも不思議なものです。

とてもいい作品なのでもし機会があれば是非このPV見てください。



大人になって金銭の融通や手に入る情報も幅が利くようになり手にしたDVD、初めてハヤブサ選手の試合を見た時は画面越しながらなんてとんでもない選手だ!と大人気なく興奮しました。



もう少し早く気付いてリアルタイムでハヤブサ選手の勇姿を、そして今はもう叶わなくなってしまった再びリングという名の大空を駆ける不死鳥の姿を見たかったです。

2001年から現在までリング復帰に向けて懸命にリハビリを続けてこられていたプロレスラーのハヤブサさんが3月3日にくも膜下出血で亡くなったそうです。非常に残念です。

お悔やみ申し上げます。

プロレスラーのハヤブサさん死去
http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/514171/

The best of Hayabusa






GiNkS - Number 211


GiNkS LIVE 15.07.24



↓他 MV
GiNkS「alchemistory」SHORT MOVIE

GiNkS - waiting for you (short ver.)

GIMMICK NOISE STORE "MUSIC = MUSIC"