初詣であれ旅先での神社参りであれ、神様にはついついお願い事をしがちである。かく言う僕も御多分に洩れず、20年ほど前までは神様お願いしますと、ぱんぱんと柏手を打っていた。今では、神様には自分が為したいことを報告して、どうかお見守り下さいと参拝を締めくくる。


 『けちがん』と言う言葉がある。『結願』と書き表すが、読みは『けつがん』ではなく、『けちがん』である。四国八十八ヶ所を巡る巡礼の道のり、いわゆるお遍路では、最後のお寺での参詣を終えることを指す。

 昨日、撮り溜めてあった番組の中から、NHKの日本風土記『花遍路』を観た。今では車で移動をして各札所を巡ったりするのは当たり前で、バスツアーが組まれている事も紹介されていた。四国八十八ヶ所の霊場巡りである四国巡礼は、そもそも弘法大師空海僧正にゆかりのあるお寺を巡る。一説では、弘法大師がこの巡礼を説諭したとも言われていると、何となく覚えている。

 そんな中、歩いて八十八ヶ所を巡り結願の瞬間を迎えたご夫婦が紹介された。元々妻が目指していたことであったが、下り道を歩くことに不安なため、夫が付き添いながら二人で歩き通したのだそうだ。妻は『この人のサポートが無ければ歩き通せなかった』と夫に感謝して涙した。夫は結願できた清々しさを表情にまとい、涙する妻の頭に優しく手のひらを載せ、そして肩に手を置いた。それぞれのお遍路さんの想い、巡礼をすることになったきっかけは心の内にある。

 僕は仏教を信奉してはいないし、その教えを享受したり日々の生活に取り入れて暮らすと言う事もない。この事は、端的に仏教を批判しているのではないので留意いただきたいと思う。しかしながら僕はお寺に参詣する。そして思いを告げて心を新たにする。僕の感覚では、自分の目標とその為の努力を誓う機会であり、自分自身を奮い立たせこれからの行いを見つめ直すことのように感じる。


 人はそんなに強くない。ゆえに、お釈迦さまや弘法大師をぼんやりと心に浮かべ、心の内に問いかけて、心の内で整理する。


 それがお参りであり、巡礼なのだろう。