子供の頃、トイレに行くのがたまらなく怖いと感じてしまい、誰かに付いて来てもらったりするなどという事は、誰しもが経験したことのある、少しだけ恥ずかしくもある記憶ではないだろうか。

 「ホーホー」と低く鳴くフクロウの声、時折聞こえる「バサバサ」という羽音、遠く近く聞こえる「カーカー」と群れ鳴くカラス達、風に踊らされて「ザワザワ」とうごめく木々。夜と闇と月明かりの世界は、子供にとっては常に恐ろしさを孕(はら)んだ、『何か』が棲まう非日常だ。

 ところがどうだろう。明るい時間帯にカラスが鳴いても、風が吹いて葉擦れの音が聞こえても別に怖いとも不気味とも感じない。葉擦れの音に至っては、夏の日差しの中で聞くと涼しさと爽やかさを感じることだろう。

 人が夜の闇を恐れるのは、原始の時代から生命が持つ、敵から身を守り危険と遭遇しないようにする習性という人もいる。近現代でも、日本の森林にはオオカミが居て、ひとりで夜の山道を歩くのは危険とされていた。

 では、妖怪達はどうだろう。闇の世界に対して人の心が感じる怖さ、訳の分からない事柄に対する不思議さを解決する策として、人々は目に見える形で妖怪達を描き、実態があるから怖れなくてもいいと思い込もうとしているようにも感じる。

 人は夜の闇を怖れる。その怖れは、深く果てしない自然への『畏(おそ)れ』でもあると思う。闇に住む『何か』はとてつも無い力を持ち、人智の及ばない領域に存在する。時を超え空間を超え、時に人々を闇から更に続く異世界へと吸い込んでしまう様な『力』は、怖くありつつも偉大にも思える。そういった感覚が、深い自然と夜が創り出す闇に対する畏敬の念に繋がるのかもしれない。


 『何か』が潜む夜の闇。


 何歳になっても怖いままでいいと思う。